吉村医院の話④救急搬送、緊急帝王切開、アナフィラキシーショック、母乳チャレンジと子宮筋腫

破水が先で、陣痛がつかず、あっさり、救急搬送が決まりました。

私の場合は、元々、ハイリスク妊婦なので、判断が早かったと思います。命が大事。

自然出産の鬼と言われる吉村先生ですが、ご著書の中でも、2〜5%位はどうしても医療介入が必要なお産がある、と言われています。

さて、ここからが正念場。

私は化学薬品のアレルギーがあるので、医療の枠組みに入ること自体がリスクなのです。だけど、この時期はまだ、地方の医師は、化学薬品アレルギーやアナフィラキシー、アナフィラキシーショック、の経験が乏しく、理解が進んでいなかったように思います。説明しても響かない。ピンとこない方が多かった。

私は過去に何度も、アナフィラキシーで、救急搬送されています。アナフィラキシーという言葉がなかった時期から、何度も。他県で暮らしたり、結婚後は転勤族だったので、色んな地域で。

アナフィラキシーが起こるようになったのは、20代後半に腰椎椎間板ヘルニア摘出手術を受けた後から。手術を境に、アレルギーのレベルが跳ね上がったんですね。それ以前は、まあまあ普通のアレルギー体質でした。

大好物だった牡蠣で、嘔吐が止まらない。市販の総合感冒薬で、嘔吐が止まらない。最初は、不良品なのかと疑い、製薬会社に相談したのでした。大好きだった猫と戯れると、頭のてっぺんから爪先まで全身に蕁麻疹+高熱+ひどい頭痛。アレルギー検査で、ショック死レベルとの診断。猫のいる家に行ってはなりません、と。引っ越し前に近くの小学校の解体工事があり、すごい量のホコリがでたら、喘息になったんですね。医師に診てもらい、処方された頓服薬を服用したら、確かに咳は止まったものの、すごく体調が悪くなり、一晩で髪の大方が白髪。その後2年近く、半病人状態で、ほとんど床から起き上がれなかった。花粉症シーズンに、市販の点鼻薬が具合良かったので、同じ会社の目薬をさしたら、白目の部分がみるみる膨らんで、目が閉まらなくなったり。デパートブランドの口紅をつけたら嘔吐、唇や周りが荒れて腫れて切れた。毛染めを使ったら、何日も寝込んだ。などなど。

2001年の頃は、都内でも『?』という対応でしたが、2008年以降は、都内の大きな病院の内科系の医師の対応は、ずいぶん変わり、私が過去の様々な状況を話すと、スッと理解されました。「アルコール消毒は大丈夫ですか?そもそも、今、ここにいて、大丈夫ですか?(病院は化学薬品の多い環境だから、居るだけで、アレルギー反応が出る可能性もあり、心配してくださったのです☺️💖)」と聞かれて、ホッとした記憶があります。アルコール消毒やゴム手袋(ラテックス)が大丈夫かを確認するのは、今では当たり前ですが、理解が進んでいなかった頃は、そういう対応はなかったです。そんなものに反応する人がいることが知られていなかったのですね。

私が出産したのは、2007年。愛知県の総合病院。

だけど、そもそも、出産するのに、アレルギーが・・と言ったところで、どんな対処があるっていうのかしら、と思いながら、担当医に、一通り、お話しました。

パッチテストをやって、時間おいて、様子をみて、異常なし。

「もし、具合が悪くなったら、言ってください。すぐに止めますから」

頼もしい笑顔で言われましたが、内心、もやもや。

出産なのに、どうやって止めるんだろう?そんなの、無理でしょ、と思ったのですね。だけど、もう、ここで産むしかないので、疑問は飲み込んで、そのまま、手術はスタートしました。緊急帝王切開。部分麻酔で。止血剤はタココンブ。できれば、ついでに子宮筋腫は取りますね、と担当医。

麻酔薬が投入されてすぐ、ヤバイ!と思いました。最初は、背中の上の方にチカっと嫌な感じが走り、体の左半身が上から下まで全部、顔も口も痺れて麻痺してきたのです。で、精一杯、訴えて、医師も異常の訴えはキャッチしましたが、やっぱり出産ですからね。手術が途中で止まるはずがないのでした。

物凄い気持ち悪さと苦しさ。張りつけ獄門だな、これ。

途中、意識が途切れ途切れ。「血圧低めですか?」と看護師さん。「はい、低めです」と答え。血圧が急降下したと騒いでいる。28とか30とか言ってる。ふと見ると、担当医の顔が蒼白で、物凄い形相になってる。なんか、気が滅入るわ〜。担当医が真っ青って、嫌なものだな。止血剤、打っても打っても出血が止まらない、と。

手術をする時は、最低、医師が二人必要。サブで付いてるもう一人の医師が、明るい落ち着いた声で、延々、野球の話をしている。真っ青になってる担当医の、折れそうな心を支えて、励ましてるのね。平常心、平常心、落ち着いて、頑張れよって。

赤ちゃんの泣き声。

連れて来てください、と頼んで、赤ちゃんと対面。

とにかく生まれてきてくれてよかった、と思いました。しかし、私自身はボロボロです。出血は大量で、血圧は急降下、取れたら取りますと言われていた子宮筋腫は、手出し出来ず、温存のままとなりました。

医師たちが、産道グニャグニャだな〜😳‼️😳❣️😳‼️と感嘆の声をあげながら、縫合して、終わりました。

私は、吉村医院の指導方針を愚直に守って、妊娠期間中、毎日3、4時間のお散歩とスクワットを欠かさず、拭き掃除しまくりで、最後の最後には引っ越しもあって、本当によく動いたんです。産道グニャグニャは、体づくりの賜物だった、と思います。お産に生かされることはなかったけど、後々になって(つい最近!)、この体づくりが、意外なところで生かされていた❣️と知るのですが。それはまた別のお話☺️

お産を終えて病室に戻ってみると、身体がひどい状況になっていました🍂😱😨😶‍🌫️🥶☠️自力で起き上がることができないのはもちろん、寝返りもできない。膝を立てることすらできない。左半身全部、動かすことができず、腕も動かない。鏡を見ると、顔の左半分もおかしくなっている。足には、蕁麻疹が沢山出ていて、痒い。痒いけど、手が動かないし、痛いし、身体も動かないから、ただ、耐えるしかない。痛みと痒み。

ふと、古代中国の拷問に、こういうのもあったかしら、と思ったりしました😓

やっぱり化学薬品アレルギーが出たんだな、と思いました。身体の中から化学薬品を排出して、地道に体調を戻していくしかない、頑張るぞ、と覚悟を決めました。担当医は来なかったので、病室に来た医療者に事情を話して、これ以上、化学薬品を使うのは止めたい、と話しました。

「痛み止めと抗生物質しか使ってませんよ。抗生物質は、外すことはできません」

「では、痛み止めを外していただけますか」

ということで、痛み止めの点滴を外してもらいました。抗生物質オンリー。

痛みと痒みの中で、母乳育児のチャレンジを開始しました。結局、子宮筋腫はそのままお腹に温存されてるし、麻酔でこんな状況になるのだから、やはり今後、手術になる事態はできるだけ回避した方がいい。自分が生き抜くためにも、やはり母乳育児にチャレンジしよう、と決めたのです。

通常、手術以外の子宮筋腫の対処は、薬の服用で生理を止める。生理が止まると、その期間に子宮の状況が自然に改善されて、筋腫は小さくなるので、障りがなくなるのです。母乳育児は、母乳が出ている期間、生理が止まるので、天然の状態で子宮の状況が改善され、筋腫が小さくなることが見込める。私は、そこに賭けてみよう、と決めたわけです。

母乳チャレンジを開始すると、一通りの母乳対応の後は、やんわり冷んやり、遠まきな態度を取られる看護師さんが大方。わざわざ、あからさまに気を挫くことを言われる方も、ごく稀に、少数いました。だけど、不思議なもので、私の本気の頑張りを応援してくれる方も何人かいらっしゃいました。琴線に触れる、という感じで。私を見る度、目に涙を浮かべながら親身になってくれた方もいたし、新しいやり方、器具を次々持って来てくださる方もいました。大きな病院なので、看護師さんは入れ替わり立ち替わり、コロコロ変わるのですが、変わっても変わっても、大体同じ比率で、気を挫こうとする方がごく少数、それよりはわずかに多い数の方が、本当に親身に、応援してくださいました。多数派は、当たり障りなく、毒にも薬にもならない、距離感をキープ。

私は半身が動かなくて、自分で起きることもできないし、横のベッドに寝ている赤ちゃんを抱くこともできなかったので、協力してくださる方がいなかったら、母乳チャレンジはできませんでした。男性も女性もいました。本当に、ありがたい。感謝しています。

日数はかかりましたが、母乳チャレンジは成功して、結果的に、完全母乳。そうして、目論見通り、生理が止まった期間に筋腫は小さくなり、障りもなくなったのでした。

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