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この世のものではない✨少し☺️不思議なお話〜家族葬を考える。ご近所のお淋し見舞い。『偲びたい』気持ち。

最近、ご近所の方がお亡くなりになりました。祖父母の代から、長い歳月、サラリと距離感を保ちつつ、良いお付き合いをさせていただいてきた方。昨今の流れは『家族葬』なので、ご近所にお知らせされることはないし、忌中の紙がお家に貼り出されることもありません。何も知らないまま、になっていたはずでした。

ところが、あの時、私、ふと思い立って、近くのセブンイレブンに出向いたのです。なんとなく。そしたら、たまたま、そのタイミングで、バッタリ遭遇したのです。犬の散歩中の、そのお宅の孫娘ちゃんに。それも、行きと帰り2回も。

いくら近所でも、こんなにピタリとタイミングが合うことってありません。しかも、花粉症シーズン真っ盛り。私はひっどい花粉症で、好きな自転車も封印中の引きこもりモード。そもそも外にあまり出ないシーズンなのですね。

色んな意味で、非常にレアなタイミングでのバッタリでした。

おまけに、犬が私を見たら、立ち止まって、動かなくなったのです。2度とも。

ご近所だからこそ、あまり立ち入ったことを尋ねるべきでないという気持ちは強めに持っています、私。だけど、うむむ〜🤔

ちょうど、母が毎日のように気にして話していました。そのお宅の大奥さまのこと。長いことお見かけしないわ、どうされたかしら、と。

しばし躊躇😓🤔😓

だけど、2度バッタリだしなあ🤔🤔

しかも、犬が❗️顔は私の方を向いてるけど、目線が私を飛び越えてます。私の向こう(背後上方)をじっと見てる。なんだか不思議な感じだわ✨

よし❣️お尋ねしましょう❣️

思い切って、お尋ねしました。「おばあさま、お元気ですか」と。

そしたら、孫娘ちゃん「実は最近亡くなりまして」と。

まあ😳

ということで、知ってしまったのでした。

家に戻り、気にかけていた母に話しました。ひとしきり、思い出話タイム⏳⏳⌛️

さて、どうしましょう。

母は、お参りさせていただきたいわ💨🥺🙏もちろんよ、ぜひとも、と。強い意思💪❤️

お家の方の意向も気になりましたが、母に任せよう、と思いました☺️

母は、いそいそと大奥さま宅へ出向いて、事実確認&お参りさせてください、と申し出て、受け入れられました👌🙆‍♀️🆗

孫娘ちゃんの言った「最近亡くなりまして」の『最近』は『今朝』だったと判明。入院していた病院で亡くなられ、ご遺体がお家に戻ったばかりだったのです。きっと、おばあさまが亡くなったことはご近所には内緒🤫と箝口令が敷かれていたのでしょう。だけど、私に「おばあさま、お元気ですか」と尋ねられて、とっさに孫娘ちゃん、上手な嘘もつけず、曖昧に誤魔化すこともできず、どうしよう💦という心の揺れが、今朝のことを最近と言っちゃうトンチンカンな言い回しになったんだろうな。どストライク過ぎるタイミングで、スパッと尋ねちゃって、困惑させてしまったんだろうな。ごめんなさいね🙏💦

と、まあ、こんな素っ頓狂な経緯が発端です。そこから先は、母には慣れ親しんだ長年のルーティン。つまり、花屋さんに電話をかけて、お淋し見舞いのお花を注文して届けてもらい、私に「あなたも行く?(当然行くのよ❓わかってる❓🫵)」と、見た目は控えめな意思確認、中身は決定事項を言い渡す司令塔。鮮やかな手際で私を囲い込み。(こういうの、老練の技だな、といつも思うわ😓)私はお供えのお菓子を買いに走り、母と二人でお参りに伺い、ひとしきり思い出話をして帰ってきたのでした。

あー、良かったわ☺️お参りできて🙏💖ホッとしたわ🥰

母は何度もそんな風に言って、喜びました💕お亡くなりになったことは寂しいけど、ご高齢の大往生。しっかりとお見送りできて、ちゃんとお顔を見てお礼とお別れが言えて、ほんとうに良かった💖と。


この地域は、昭和から平成の途中までは、ご近所で人が亡くなると、葬儀のお手伝いに駆けつけるのが習わしでした。母も祖母も仏事お手伝い用の黒い割烹着を常備していました。大奥さまもです。お参りに来られた方へのお茶出し🍵、初七日のお食事を拵える、配膳、後片付けなどをお手伝いしたそうです。大昔は、全てのお料理をお手伝いの方々で拵えたようです。そんな時、煮物の上手な方にやり方を教わったり、洗い物も、食洗機なんてなかった時代ですし、漆器の扱い、器の裏側、糸じりまでしっかり洗うこととか、清潔な布巾をたっぶり用意しておくこととか。大昔は、他家の台所にまで入る形、その後はお寺か集会所の台所になったわけですが。ご近所の方々との共同作業の中で学ぶことは多かったようです。合間にはもちろん井戸端会議も。

専業主婦が主流だった時代には、そういう形が成立していたのですね。時代が変わって、外で働く人が増えると、参加可能な人が減り、固定メンバーばかりに負担が偏りました。母や大奥さまは、最後までやり遂げた固定メンバーの(当時の時点では)若い方。他の固定メンバーの高齢化や死去で、誰の目にも限界が見えていた頃、ふっつりとお手伝い要請が止みました。暗黙の了解の中、静かに旧来の『やり方』はお終いになり、新しい『やり方』に移行したのでした。ご近所お身内同年会などの繋がりに頼らず、葬儀屋さんに丸投げでお任せできるやり方が一般化していった時期でもありました。村落共同体の意識より個の意識やプライバシーの感覚が強まった時代、他人が自宅の台所に入るのを嫌う意識も強まったのでしょう。皆で作っていたお料理も、仕出し屋のお弁当になり、最後の頃は、お吸い物だけをお手伝いの方々で拵えたそうです。

金銭的な部分はというと、

お手伝いするご近所の方々の方はお参りする立場でもあるので、お香典を出してお参りして、ご近所一同で果物のカゴ盛りなども出した上で、裏方的なお手伝いもしていました。お香典(5000円)とお供え(2万円位を頭割り、1人2000円くらい)を出すことになるので、一つ葬儀があると、出費は7000円くらい。

月に3、4件も葬儀が重なると、時間も取られるし、身体もくたびれるし、出費もかさむので、正直「えらい」(しんどい、キツいの意味。愛知県の方言)と、亡くなった祖母が話していたのを思い出します。

一方、喪主側の金銭的負担はというと、

お手伝いの方々は一般の参列者でもあるので、当然、初七日のお料理は用意します(1人5000円くらい)。お供えの果物やお菓子も分けて、持ち帰っていただく。お花もよかったらどうぞ、と。さらに、後日お礼に伺って、多少のお金をお渡しする。小さなお菓子とともに、千円とか2千円とか。

つまり、お手伝いの方々に甘えない。ご負担かけた分に多少色つけてお返しするやり方。お互い様だからチャラね、という風にしない。

ご近所のお手伝いの方は大体10人位なので、喪主側の金銭負担分は大体7万円くらい、となります。

まあ、お金がぐるぐると回るわけですね。


昔のやり方は、やはり、今にはそぐいません。無理すぎる。

だけど、関わりのあった人を偲びたい気持ちは、昔も今も、変わらないと思うのです。

コロナ禍を経て、一般化した家族葬ですが、『偲びたい』気持ちの受け皿機能は、今後、別途、必要なんじゃないかしら。


お参りに伺った直後のゴミの日の朝、少し不思議なことがありました。

ゴミ捨て場にゴミを捨てて、家に戻る時、大奥さまの家の前で、呼びかけられました。おはようごさいます、と大奥さまの声。

⁉️😳

辺りを見回しましたが、誰も居ません。ただ、なんとなく、明るい朗らかな感じ✨ありがとう❤️🥰と言われたような、大丈夫よ💪💕と励まされたような。そんな心地よい温かな感じがありました💕💖🥰✨😊💓☺️

私は子供の頃からよく、この世の人じゃない人を見たり、聞いたり、感じたりします。だけど、マスコミに出る霊能者みたいな立派な能力はなくて、しょぼいのです。壊れかけたテレビや、具合悪いパソコンみたいに。

大奥さまは人好きな朗らかなご性格で、よくお家の前に佇んで、通りかかる人と他愛ない会話を楽しまれていました。

きちんとお参りできて、偲ぶ時間を持てて、良かったな🥰と、あらためて思いました。

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