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吉村医院の話⑤〜光と影、5%位の人々、吉村先生の懐から出て俯瞰で見る、カリスマの大変さ

吉村医院は自然出産を目指す方針ですが、結果的に、搬送先の高次病院で出産する人が4〜6%いました。(吉村正先生の時代の話です)大体5%位の人たち。私はその一人です。

私は、化学薬品アレルギーなので、高次医療に適さない。ハイリスク妊婦だから、自然出産に適さない。どちらにも適さない中で、妊娠中は吉村医院、出産時は高次病院のお世話になりました。両極端な2つの施設の恩恵を受けることができて、ようやく、なんとかかんとか、出産できたのです。本当に、ありがたい。

吉村先生は、自然出産の素晴らしさに魅入られ、現代医療の失くした大切なものに光を当てる立ち位置。病院出産が増えて一般化していく時代に、逆行し、独自の道を拓かれたのです。

私がお世話になった2006年当時は、吉村先生がまだお元気で活躍されていた最後の方の時期。翌年に、河瀬直美監督が撮影に入られ、映画『玄牝げんぴん』が作られました。

あの頃、燃えてた❗️と思います。活気があり、楽しかった。

ただ、時々、気になることもありました。

医院の2階をぶらぶら歩いていると、激しく暗い口論が聞こえる時がありました。どうやら、自然出産が難しく、高次医療が適当と判断された妊婦さんが、搬送されたくなくて、吉村先生と言い合いになっている様子。怒鳴り声、激しく言い争う声が響く廊下を、心閉ざしたような神妙な顔つきで歩くスタッフさんの姿も、印象的でした。

そういう場面に何度か遭遇。

5%ということは、20人に1人の割合ですから、少数派ではあるが、時々いる、という感じになるのでしょうね。

光と陰。強い日差しの当たる庭には、濃い日陰も生まれてきます。

また、自然出産された方々の中にも、こんな風とは思わなかった、という声も、結構聞きました。落胆、期待はずれ、困惑。もちろん、無事に母子ともに元気に生まれて良かったと思われているのですが。

だけど、時々、産前産後でガラリと変わる方々もいました。自信なさげな暗い雰囲気だった方が、産後、見違えるように明るく、どっしりと、光り輝くようになられて、人相も雰囲気も、前と全然違うんです。目を見張ることが何度もありました。

そういう方ほど無口で静かで、多くを語りませんが、傍目に見ていて、じわじわ〜感じるのです。吉村先生が仰るような、本当に素晴らしいお産、良いお産をされたんだな、と。

あくまで私の個人的な感覚ですが、20人から30人に1人位かな、と思います。吉村医院を外側から見て、懐疑的に思われる方は多くいて、実のところ、どうなんだ?とか、そんな素晴らしいお産、ほんとにあるの?と聞かれることもありましたが。ほんとに、ありました❣️

私は、オリンピック選手を仰ぎ見るような気持ちで、こんなことがありえるんだな、人間てすごい❣️と感動してました。

自然出産で生まれた赤ちゃん達は、特有の佇まいがありました。石造りのお地蔵さんみたいな。普段は、ジーっとしていて、ひよひよ泣かない。お腹すいたり、おしっことか、何か訴えがある時だけギャーギャー泣く。

そんな温かな陽だまりのような場面に携わることは、誰にとっても気持ちの良いことでしょう。

不穏な空気が漂う場所には、誰も足を踏み入れたくはないですよね。

私は破水が先で陣痛がつかず、あっさり救急搬送が決まりました。私は頷いて、はい、と返事しただけですが、吉村先生は、私が行きたくないと言ったかのように、まくしたてられたので、驚きました。

いえ、そうじゃなくて、と言いかけると、ますます、大声でまくしたてられました。

対話が成立しなかった。

危ないから高次医療に、というのは医師として当然の判断とこちらが納得していても。

そのまま救急搬送となりました。

どうして❓

実は、そこは長い間ずっと、胸に溜まっていました。吉村先生、あんなに、ご自身を責めること、なかったのに、と思って。

それだけ真剣に、自然出産にのめり込んで取り組んでいらっしゃった、ということなのでしょう。また、それだけ強い逆風の中を歩んでこられた、ということでもあるのでしょう。NOを言わなくてはならない辛さや、自然出産を最大限勧めた挙句、無理になった痛みやらなんやら、丸ごと、全身で引き受けようとして、挙句、かぶらなくてもいい泥までかぶって。目の前で、自爆された感じ。

ご自身の弱さも矛盾も限界も晒して、突き放すようにされることで、ある種の責任をとろうとされていたのかな。

命がけで、頭が変になっちゃうくらい、夢中で、という表現をよくなさっていましたが、まさに、全身全霊をかけて、取り組んでいらっしゃった、と思います。

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