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アレルギー体質の闘い①自分で自分を整える手段を持つ

私は時々お灸をします。枇杷の葉温灸。東城百合子先生メソッドの。

やってみると意外と簡単なんだけど、本気でしっかりやろうと思うと難しい。やること自体は簡単なんだけど、簡単じゃない。茫漠として、奥が深い。まだまだ全然未熟なんだろうけど、具合悪い時、お灸やセルフケアをして、自分で自分を整えながら、まあまあ大禍なく、まあまあ元気に暮らしています。

必要なものは、棒もぐさ、消炎キャップ(お灸を終わる時に被せて酸欠状態にして消すと無駄に燃えてお灸が減らないし、サッと安全に消える)など、多くない、高価でもない、手順が難しいわけでもない。時間はそれなりにかかる。手間も。

最初はすっごい抵抗感ありました‼️

怪しげ〜💀👹👽怖いわ〜😨森の魔女みたい🧙‍♀️🦹‍♀️

なかなか一歩を踏み出すことができず、ぐずぐずもやもや。

本来の、もともとの私は『普通』の枠組みの中に居たい人だったから、自分で枇杷の葉温灸をするなんて『普通』じゃないわ、イヤだわと思いました。変わったことに手を出したくなかったのです。

わざわざ遠くに探しに行ったり取り寄せたりしないで、普通にそこらへんに売ってるものを飲み食いして、服もそこらへんに売ってるものを買い、フツーに学校に行ったり、仕事したりして暮らしたかった。具合が悪い時はフツーに通りがかりのドラッグストアで買う市販薬を気軽に飲んで、近所のお医者に診てもらう。そんな風に暮らしたかった。それが私の考えていた『普通』でした。『普通』の枠内にいることで安心安全が担保されると思いこんでいたような気がします。

自分を取り巻く環境や世の中の仕組み自体に目を向けず、暮らしの根っこを見直さず、物事の根源的なところを考えず、そういうことは神様仏様自然の摂理政治家経済界の偉い方々などにお任せして目を瞑り、さらさらと流されていく。『寄らば大樹の陰』で『長いものに巻かれて』、それが一番安心で無難な『堅い』路線だと思っていたのですね。

保険適用外の民間療法や、効くかどうかもわからない自己流のやり方には半歩たりとも足を突っ込みたくなかった。

だけど、いくらお医者に通っても身体は整わず、スッキリしませんでした。毎日毎日鉛のように身体が重く、鼻が詰まって頭がボーっとして憂鬱でした。それがデフォルト(標準)という状態。

20代の後半、腰のヘルニアの摘出手術を堺に劇的に体質が悪くなりました。手術自体は成功しています。アレルギーのレベルが跳ね上がり、化学薬品や医薬品、猫、牡蠣など様々なものでアナフィラキシーやアナフィラキシーショックが起こるようになりました。検査すると、猫アレルギーはショック死レベルの高さと診断され、アレルゲンの猫と距離をとる以外なく、お医者に相談しても有効な対処はなく。市販の総合感冒薬を飲んだら嘔吐が止まらなくなったり、花粉症の目薬さしたら目がジンマシン出て閉まらなくなったり。髪の毛染めたら具合悪くなって10日も寝込んだり。色々あって、化学薬品や医薬品から極力遠ざかる選択をする中で、ケミカルではない形で身体を整えることを模索するようになりました。温泉、鍼灸、あんま、整体などなど。

力のある方は色々な場にいて、ゴッドハンドだなぁと思う方々にも出会いました。そういう方々の施術に助けられました。

だけど、

お金がかかる、時間がかかる。そもそも、施術を受けたい時は具合悪い時なので、施術に通うこと自体の負荷が大きい。施術で良くなっても家に帰る長い道のりに疲れて、家に着く頃には具合悪くなっていたこともしょっちゅう。

あー、この先生がウチのお隣に住んでいたらよかった、いや、同居の家族だったらよかったのに、と何度思ったことか。

そんなところから、自分の身体を自分で治せたらいいな、自分で自分を整えながら暮らせたらいいな、と憧れる素地ができたと思います。

東城百合子先生の考え方は、そんな私には合っていました。お金はあまりかからない、手間はかかる、心のエネルギーも多く使う、時間もまあまあ費やすが、自宅で自分で工夫しながらやれることなので、通院の時間や待ち時間のことを考えれば、全く楽ちん。施術が終われば、そのまま眠ることもでき、身体が楽です。部分的なことではなく、体調が全体的に整い、治る(回復する)素地を養い、自然治癒力を高めてくれる気がします。

体調に合わせて、良い先生の施術を受けながら、時々自分でお灸もしたり、あれこれやりすぎると疲れて負荷が高い時は、施術を受けるだけにしたり、温泉に入ってみたり、自分のお灸だけにしたり。体調に合わせて、具合良くなるように工夫しました。


振り返ってみれば、小学3年生くらいからずっとそんな状態でした。体調は常に低調だけど成績は良い方で、学級委員とか生徒会とか、役割を与えられることが多かった。ゆえに、かえって問題が顕在化しにくく、根深くこじれていった面もありました。一見、そこに大きな問題があるようには見えなかったのかもしれない。元気に暮らしているように見えていたかもしれない。でも、私自身はずっと体調が悪く、我慢に我慢を重ねながら、どこか疲れ果てながら頑張って暮らしていました。毎日のように微熱が続いていて、常に体調が悪いから、だらだらぐずぐず、ゴロゴロしがちで、家では怠け者と言われていました。

振り返ってみれば、ただのアレルギー体質です。アレルギー体質でアレルギー症状が出ているのに、アレルゲンから離れず、どんどんこじらせていたんだと思う。当時は、まだアレルギーという言葉自体が『無かった』(あったのかもしれないけど、一般的ではなかった)時代。昭和50年代の初めです。私は、親にも家族にも理解されず、わがまま、神経質、変わり者、と非難され続けて育ちました。

一度、母が私を大きな総合病院に連れて行ってくれました。小学校を休んで、少し良い服を着せられて、電車に乗ってタクシーに乗って。そこで生まれてはじめてアレルギーという言葉を聞きました。今思えばパッチテストですが、沢山の注射を腕の内側いっぱい等間隔に刺されて、何にどの位反応するか調べました。合計40本くらい。私は全部に反応が出て、何には医師たちが『おおっ、これはすごい、新記録だ』と目をむくものもありました。医師たちは物差しで直径を測って記録していました。

で❓

その先の対処を私も母も期待したのですが、『アレルギー』のお話が長く長く細かに続くだけです。あの頃、お医者がとっても偉そうにしていた時代の終盤でした。母はお医者の長話に一切口を挟まず、大人しく聞くだけでした。横についた看護師さんがいかめしい顔で口を真一文字に結んで門番みたいに立っています。私や母の質問を受けつけるわずかな隙も作らず、お医者は鮮やかに長いお話を終えると席を立ち、横にいた看護師さんがいかめしく頷いて、お開きになりました。

え❓これで終わり❓

戸惑いながら、仕方なく私と母が席を立ち、少しあたりを見回すと、一人の若い医師が寄ってきてくださり、気の毒そうな顔で、アレルギーは新しい分野でまだよく分からないことの方が多いのです、と言葉をかけてくれました。そこで、私は一番聞きたかった質問をその若い医師にしました。何か対処はあるんでしょうか?お薬とか治療法とか、と。

さっきの注射で反応が出たものを毎週打って身体を慣らしていくことをここではしています、と自信なさそうに、私には勧められないという風に、もごもご言われました。今思えば、免疫療法の初期の形です。

びっくりしました‼️

私は打った注射40本くらい全部に反応した、てことはその治療をするなら、私は毎週学校お休みして40本注射打ちにここまで来るってこと⁉️

仮にそれをやったとして、治る確率は何パーセントくらいですか?

重ねて私は質問しました。多分、学校の算数で『確率』を習ったのでしょう。

正確な数字は忘れましたが、非常に低い数字をその医師は苦しげに言われました。真面目で正直な、誠実な人。

アレルギーは世界的に研究が始まったばかりで、まだわからないことの方が多く、治療法も確立されていないのです

最後にその若い医師は申し訳なさそうに言ってくださいました。

世界🌎とか研究🌏とか、私の現実からはかけ離れて遠い壮大な✨夢のあるお話✨でびっくりしました。トンチンカン😜だとも感じました。だけど、皆が遠巻きに沈黙を守って知らんぷりしてる心無い雰囲気の中を、この若い医師だけが、一人で突破して、わざわざ私たちに本当のことを話してくださってる❤️と感じました。身も蓋もない本当の話を。母は私以上に現実的な人なので、この医師は良い人だけど全く役に立たん、と見切ったに違いありません。微かに眉をしかめてあいまいにうなづきながら、おとなしく『お話』を聞いていました。


長い待ち時間の末に、ようやく会計を済ませ、帰り道、母は一言も口をききませんでした。当時母は舅姑小姑小舅と同居。8人家族の食事を作っていました。今日の外出のために前々から多方面に気を遣ってお願いしたり、やり繰りを工夫したはずです。

私は今日1日を振り返って考えていました。長い帰り道の道々考えました。うちに帰ってからフローチャートみたいなものを紙に書いてみて、また考えて、それをもとに日記に今日一日の出来事や感想を書くと、概要が見えて、ようやく少し落ち着きました。何事であれ、読んだり書いたり、言葉にして考えないとうまくモノが考えられないタチなんです、私は。

あれは治療じゃなかった、検査は治療の前提のはずだが治療に結びつかなかった、私がデータをあげただけ🎁小学校をお休みしてママと電車とタクシーに乗ってきた🚃🚕電車賃とタクシー代金はママが支払ったし💸病院の会計でも支払った💸これってウチが病院に支払うべきモノなのか?🙁病院がウチに支払うべきではないのか?病院がウチに謝礼と交通費を支払うならまだ分かる。治療もせずにデータをもらうだけなんて💢なんだよ💢いや、待てよ🤔お医者は40本くらい注射して、測って、私とママに長いお話をした、注射代金💉とお手間賃とおしゃべり時間代をウチに請求したってことか🙄うむむー😐こんなにも役に立たないと前もって分かっていたら、買わなかったサービスだが、仕方ないな🫤キャラメルのおまけで欲しくないやつが出たのと同じことか😑買わなきゃ当たりもハズレも出ないんだから買ってみるしかないってやつか。

医療は行為に支払われるもので成果報酬じゃない。成果は出ることもあれば、出ないこともある。そのことに、この時はじめて私は気づいたのでした。

まあ、これは今の私には役立たない出費だったが、先々の誰かに役立つのかもしれない、そうであってほしい。未来の医療🌈あの若い医師の顔を思い浮かべました。


私はよく食事中に気分が悪くなりました。特にメロン。味は好き。だけど、食べると嘔吐するようになりました。スイカやきゅうりでも時々気持ち悪くなって嘔吐しました。

振り返ってみれば、ウリ系のアレルギーです。家族には嫌がられ蔑まれ罵られ気味悪がられました。貧しい時代を生き抜いてきた祖父母は、今の子は贅沢だ、今の子は弱いと言いました。お医者に聞いた『アレルギー』のお話の中にはメロンやスイカやきゅうりの話は無かったので、目の前で私が嘔吐する🤮ことと『アレルギー』とが結びつくことはありませんでした。わけがわからず、ただただ不快でめんどくさかったのでしょう。

進学で家を出て一人暮らしを始め、新たな生活圏で買い物するようになると、時々、肉類でも嘔吐するようになりました。特に鶏肉。それが買う店による。つまり、スーパーAの精肉コーナーは大丈夫、肉屋Cも大丈夫、スーパーFと肉屋Bの肉を食と嘔吐する、テイクアウトでも、レストランEの肉は嘔吐する、レストランDのテイクアウトは大丈夫、という具合。

体調が悪かったのかな、たまたまかな。

暮らしの中で起きてくることなので、様々なゆらぎはあります。誤解もあったかもしれないけど、数回吐いたら数ヶ月、時間を空けて改めてトライして、それでも何度か吐いたら、その店では買うのはやめました。次第に私の中で、あそこはダメ🙅‍♀️ここは良い⭕️と整理されてきました。だけど、どうしてあそこはダメでここは大丈夫なのか、わけがわからん。

そんな頃、人生初、自然食オーガニック系のお店と出会いました。まだ、その手のお店が巷に無かった時期で、珍しかった。

恐々中に入ると、品数は少なめ、お値段は高め、見たことないメーカーの調味料ばかりが棚に並び、知らないメーカーの飲み物、牛乳、バター、店内あちこちに説明と啓発のチラシやポップ、レジの後ろに核兵器反対戦争反対のポスター。

農薬、添加物、ポストハーベスト、アレルゲン、化学物質

見慣れない文字群を眺めながら、ああ、ここに『答え』があった、と感じました。こういうコトを知っていく中で、自分のアレルギー体質を改善させたり、折り合いのつけ方を考えていけるんじゃないかしら、と思いました。

良かった❤️知りたい💓学びたい💓

そう思いながら、同時に、私には真逆の感覚も強烈にありました。なんだかこういうのやだなぁ、あんまり好かんわ〜、と思っていました。

総じてお値段が高い。あーじゃないこーじゃないコレだめアレだめとうるさいわっ💢雰囲気暗い。楽しそうじゃない。正しいのかもしれんが、楽しくない。

退屈な天国より、面白い地獄の方が好きなんだよ、私は❤️

当時よく行っていたカフェの常連仲間の一人が、私が見つけたオーガニックショップのことをこんな風に形容しました。

『肌の弱そうな愛想ない店員がうつむいてレジ打ってる店』

まぁね、言いたいことはわかります。値段もプライドもばか高くて愛想なくて気難しくて、迂闊にモノ言ったら10倍返ってきそうだし、なんだか傷つきやすそうで怖い。レジの向こうに『戦争反対』とか『核兵器のない世界を』とかチラシが貼ってあるのを見ると、気分が重たくなる。私は、戦争も核兵器も反対だけど、なんだかキツい。

楽しく元気に暮らしていきたいな。

アレルギー症状が出るから、避けたいものはあるし、逃げるしかない時もある、窓を閉めて引きこもって二重マスク😷で潜むしかない時もあるけど、

大丈夫な時は、色んなことをやりたいし、色々食べたり飲んだりしてみたい。

基本は手作りオーガニック寄りに軸足置いて暮らしたい。季節のお野菜や果物を中心に、純良な調味料で料理したい。

だけど、時々は悪食もしたい。嗜好品は好き。たまには流行りモノも食べてみたい。どんなもんかな、と興味があるから。

たまの悪食や嗜好品くらいは、受容できる自分でありたいと思いながら、日常的には野菜を刻んで食べていたりするんだ私。

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