3.11から11年

3.11、東日本大震災から、11年。

あの時、私は茨城県南部に住んでいました。

大地震と大津波と放射能汚染の複合災害。

福島原発がメルトダウンして、放射能汚染が起きていたことは、当初、正確には報道されなかったけど、私は私なりの形で、ダンナくんはダンナくんなりの形で、13日の朝には、福島原発の重大事態を確信していて、各々、やれること、やるべきことを始めていました。

早朝、ダンナくんから電話で、ベランダに洗濯物を出しておかないように、と連絡がありました。

そして、私は、洗濯物を回収しにベランダに出た、わずか数分で、身体に異変が感じられ、顔中に湿疹が出たのです。

まだ年少さんだったうちの子が、私を見て「ママ、お顔にぽちゅぽちゅが❗️」と驚く有様でした。

私はひどいアレルギー体質で、ただでさえ、化学薬品に弱いタイプなのに、そこは近所に杉林が複数ある地域だったから、元々ひどい花粉症が例年にも増してひどくなり、非常に体質が敏感になっていました。だから、普通の人は何ともなかったあの時点から、敏感に反応が出たのかな、と思います。

しっかし、いくら私でも、こんなことは普通ありえません。空気がおかしい。これは大変なことになった、と思いました。中国野菜の農薬使用がメチャクチャだという報道が盛んになる少し前の時期に、転勤引越ししたばかりの都内の激安スーパーで売られていた異様な安値の中国のニラを食べたとたん、手首に湿疹が出た時のことを思い出しました。悪い物事は明るみに出る直前のタイミングが、一番ヤバい。後から振り返ってみたら、きっと、そのタイミングが、無法地帯のピークになる。今が一番ヤバい。気をつけないと❗️と感じ、シャワーを浴び、窓もドアも換気扇も閉じて、閉じこもる態勢に入りました。

一方、職場に泊まり込んで不眠不休で対応に追われていたダンナくんは、どの新聞にも書かれていた、地味な定番の記事の中の、たった1行から、福島原発のただならぬ事態を確信していました。

首相の一日。首相の一日の動きを端的に伝える記事が、毎日、新聞に掲載されていますよね。

これに、菅直人首相(当時)が福島に行った、と書かれていたのを見て、異常事態に気付いた、と。未曾有の大地震と大津波が起きているのに、司令塔の首相が官邸を出るなんて、本来あり得ない。しかも行き先は甚大な被害を受けた東北沿岸部ではなく福島。どうして福島?これは、きっと、福島原発が危ないんだ、と確信して、情報収集を開始したのだそうです。

ダンナくんの両親は、好奇心旺盛で、読書家、生きた勉強が好きな人たちでした。美術や音楽や舞台や祭りも好きだったけど、社会問題にも関心持ち続けて、機会をとらえて勉強会、講演会、講座を受講したり、見学会に参加したり。原発も、原子力の平和利用を掲げて、建設を始めた黎明期には、誘致活動の一環として、広く一般に理解を広げるため、プチ旅行付きの、楽しくてお得な見学会が流行ったそうです。義両親は、沢山参加。その後も関心を持ち続けました。

そういう両親の元に育った影響かしら。転勤引越しした茨城県。水戸の偕楽園や日立の海や大船渡の港などと並列で、東海村にも連れて行かれて、へー、原発ってこんな仕組みなんだーと、知ったばかり。

実は、私は、爆発するまで、その存在すら知りませんでした。福島原発。

アホです〜。でも、まあ、平和だった、ということでもあるのでしょうね。

3.11の前の夏に、友だち親子が東京から遊びに来てくれた日のことを、たまに思い出します。子どもたちがしゃがんで泥団子を作り、親同士はゆったり笑って、おしゃべり。たくさん遊んだ後は、うちでシャワー浴びて、おやつ食べて、皆でお昼寝。蝉しぐれが響いていました。

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