沖縄県北部、本部町のふくぎ並木に宿泊した帰り道、ダンナくんの希望で、今帰仁(なきじん)城址に行きました。どこでもいいから、グスクに行きたい、一度も見てないから、とダンナくんが言ったから。たまたま、通りかかった今帰仁城址に行くことにしたのでした。
グスク。私は2度目、二つめ。前に子どもくんと二人で沖縄に来た折、子どもくんの希望で中城(なかグスク)に行きました。2019年の夏でした。その冬、夏に訪れた首里城が焼失。びっくり‼️そして、2020年冬、コロナ・パンデミック。
沖縄に単身赴任のダンナくん。赴任の前からコロナ禍になり、気をつけながら転勤引越し。リアルではなかなか会えない期間が続きました。
久しぶりに沖縄に来たのは私一人。長引くコロナ禍の間に、子どもは大きくなって、家族より友だちが大事。誘っても「いやだよ、行かない」と拒否。成長してるわ、喜ばしい。やれやれ、晴れ晴れ、しめしめ。私はそんな感覚。一方、ダンナくんの寂しがりようときたら‼️しくしく、ねとねと、じめじめ。未練たっぷり、てんこもり。子どもにまとわりついては嫌がられ。泣き言恨み言フル稼働。拗ねて僻んで。ここまでいくと、いっそ、雄々しい。笑 この過剰さで、父子の隙間を穴埋めしようとしてるのかしら❓歪なやり方で不恰好だけど、温かいな。
転勤族のワンオペ育児→東日本大震災で実家に母子避難→ダンナくん単身赴任、という流れの中で、私は、子育てお腹いっぱい、胸やけするくらい満喫して(子育て)卒業(見込み)。ダンナくんは、与えられた環境の中で、精一杯頑張ったけど、子育てお腹いっぱい、とはいかぬまま、タイムアウト→子育て卒業(見込み)。
梅雨入り直前、久しぶりの沖縄。人少ないなぁ。コロナ禍でレンタカー屋さんが潰れたり、保有台数をかなり減らしたそうです。飛行機で沖縄までは来ることができても、レンタカーを借りられない観光客が多いのかも。
今帰仁城址に着くと、人はまばら。ぶらぶら見ようかな。歩き出したら、空が暗くなり、雨が降り出しました。南国らしい、バケツをひっくり返したような。
車にも戻れない。
目の前にあった観光案内所に雨宿りがてら入りました。雨は長雨予報。
ダンナくんの発案で、ボランティアガイド(無料)を申し込みました。雨宿りがてらのガイダンス。他に観光客はいなくて、私とダンナくんのみ。
ソファでゆったり。ゆっくり、お話を聞くことができました。
激しい雨は降り止まず。
沖縄の古い歴史に興味がありました。太平洋戦争にフォーカスしがちで、それ以前の古くて長い歴史を知らなかったから。
歴代の沖縄県知事が、難しい立ち位置で、じわじわと動かれる、辛抱強さ、慎み、強かさ、しなやかさも、気になっていました。
沖縄から排出される芸能人たちの豊かな才能と魅力。料理研究家の岸朝子さんの懐深く、品格ある佇まいも印象的でした。
沖縄って、どんな所なんだろう。
通常の3倍くらい丁寧に説明してます、と言われながら、ボランティアガイドの菊池さんが、お話してくださりました。
・北山、中山、南山の三山時代を経て、琉球が統一されたこと。小さな島の出身者が最終的に覇者となったことに感銘を受けた。
・沖縄には古い時代、文字がなく、文献で記載されて残っているものがないため、わからないことが多い。中国の古い文献に残っている記載からわかったことが多い。
・中国との関係。中国は圧倒的な大国、文明国。朝貢、冊封。中国は、覇者として尊重されることを求める。臣下の礼を示せば、その地域の王として任命してくれる。形ばかりのことで、税を取り立てられたりするわけじゃない。逆に、色々な見返り(良い品をもらえたり)があるから、メリットが多い。名を捨てて実を取る、長いモノに巻かれる、という印象を受けた。
・島津藩の侵攻、支配。ガイドの菊池さんは、サラッと史実をお話されたけど、私はかなり引っかかりました。ダンナくんの前任地が鹿児島だったから。島津家の仙谷園、などに行った折、沖縄に侵攻し支配したことは、手柄話のようにサラッと描かれていて、手駒の一つみたい。それって、沖縄から見たら、ひどい話だよね、と。合わせ鏡のように両方から見ることは大切だと思う。
降り止まぬ雨に見切りをつけて、雨足が弱まったタイミングで、カッパを着て、外に出ました。コロナ禍で導入されたイヤホンが具合良い。広いところで歩きながら、ガイドさんの話がよく聞こえる。
グスクの石積みは、すぐそこにある石を積んで作られている。自然災害などで崩れたら、また、積む。
石を掘り出していた場所。今は草刈り後でよく見える。草木がしげると全く見えなくなるので、貴重な時期。
戦国時代の城の石垣の石は、柔らかいので、切り出して加工できる。グスクの石は固いので、加工できない。だから、積む。
沖縄の信仰のあり方。御嶽(うたき)、と呼ばれる場所が各地にある。神社と似てる感じもするが、根こそぎ違う、独自のもの。建物があるわけじゃなくて、場がある。見た目は空き地。石があったり。
御嶽(うたき)の話は興味深くて、色々お尋ねした。今帰仁城址には大きな御嶽があり、信仰の場でもある。
『のろ』と『ゆた』 『のろ』は御嶽の神官のような役割で、公務員みたいに任命される。代々のろの家もある。『ゆた』は占い師、霊媒師、カウンセラーのような役割で、民間信仰的なもの。良い『ゆた』、悪い『ゆた』玉石混合らしい。
神道は男性が中心で、神官は男子がほとんど。女性を『けがれ』として排する向きも強い。御嶽は、のろは女性。御嶽に入れるのは女性のみ。
日本が軍国主義に沖縄を組み込もうとした際、御嶽を神社化しようと頑張った。天皇ー神武天皇ーアマテラス大神を御嶽に祭って、土着の信仰心に絡めて、天皇への忠誠心を高める狙い。御嶽と神社は、根こそぎ違うから、無理があったんじゃないか、と思うけど。どうなんだろう。
こちらは今帰仁城址にある、火神(ひのかん)。台所の神様の総本山みたいな感じなのかしら?沖縄の全島から参拝者があるらしい。黄色い紙は、うちかび、と呼ばれるもの。中国では、違う色のうちかびがある。お金の模様。先祖供養の折に、ボーボー燃やすそうだ。うちかびの燃やし方にも、コツとこだわりがあり、こうやると灰が立たないんだよーというようなことを年長者が子どもに教えたりしながら、皆で供養する、とか。お線香も、6本くっついてる。3本づつに割ったりして(ケースバイケースで、何本づつとか、言われていたけど、忘れちゃった💦)使うらしい。
結局、観光でも、博物館、美術館、舞台などの鑑賞でも、なんとなーく行ってる時ほど、そこで出会った人やガイドしてくださる方に感化されやすい、と思うのです。『熱』のある人に出会うと、心が動く。その場で聞いたお話は、即座に咀嚼できないけど、そこに『何か』ある!と感じた気持ちは消えないから、入り口が開くのですね。お仕着せや、お勉強じゃなくて。
今帰仁城址は、資料館もあります。とても充実してる。これだけのものを集めて、裏付けて、わかりやすく展示するのは大変なこと。『熱』のある人がいたのだろうな。
↑そういう中で、こういう流れと絡んだのかしら。50年前、本土復帰のタイミングで、今帰仁城址は国指定されている。
正直、パーッと見ても、よくわからないけど💦聞いたばかりのお話とリンクするところは、少し、わかる😊これね❣️これのことなのね❗️と思う。
その程度なんですが💦
帰宅後、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』のオープニングを眺めていて、はた、と気づいたり。(うちかび、を燃やしてるんだ、とわかったのでした。前は、なんのことやらわかっていなかったのですね😑)
図書館で本を借りて、読んでみたり。
知りたいな、と思うようになりました。ここから、始まっていきそうです。何かが。