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横田滋さんのご冥福を心からお祈り申し上げます〜拉致被害者の会のシンポジウムに参加した時のこと

北朝鮮拉致被害者の横田めぐみさんの父、横田滋さんが6月5日老衰のため87歳でお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。

私は、政治的なドロドロした問題は好きじゃなくて、腰が引けてしまう方なのですが、拉致被害者家族会の活動には心打たれるところが多く、興味関心がありました。横田滋さんの、見るからに「良い人」な佇まい。横田早紀江さんの言葉の力、全身から感じられる人間的なものに、惹かれるところが大きかったです。善良で聡いご夫婦。マスメディアの報道だけじゃなくて、もうちょっと深く知りたいと思っていました。

9年前、茨城県牛久市に住んでいた折に、市内の商業施設の中で、拉致問題のシンポジウムがありました。牛久市にも、拉致被害者と思われる方がいらっしゃり、そのご家族がコアになり、シンポジウムが実現していました。まだ幼稚園の年少さんだった子どもをダンナくんに預けて、買い物していてもらい、私一人で参加しました。

シンポジウムは大変よく練り上げられていて、本当に感心しました。単に(と言えるほど軽々しい問題ではないですが)自分たちの大切な人を返して欲しい、協力してください、というお願いベースのものではなく、政治批判に終始するものでもなく、問題の広がり深まり、意味をわかりやすく解説してくださっていて、「人間として」「国家とは何か」というところまで考えさせられる形に高められた中で、拉致被害の問題に降りてくる形。

ここまで普遍化していくことができたから、拉致被害の問題は、多くの人に支持されて、広がりを持ててるんだな、と。

拉致問題は「怪しい話」で片づけられていた時期が長くありました。本当のことだから、正しいことだから通ることじゃなくて、変な人、おかしなことを言う人、と差別的に見なされていた時期も長かった。だから、大切な人を拉致された人は実は意外と多いのですが、家族が「私は拉致被害者家族です!」と名乗りを挙げること自体が大変な勇気の要ることだったわけです。

言われてみれば、ああそうか、と思うけど。あまりにも凄すぎる想定なので、想像がつかないのですよね。自分の子が拉致されたとして、こんな社会状況だったとして、それでも、とことん諦めないで探し続けることができるだろうか、こんなにも良心的に、我が子だけのことを考えるのでなく、人間的な姿勢で。と考えさせられました。

うちの親に「もし私が北朝鮮に拉致されたらどうする?」と聞いたら、「諦める」とあっさり言われて腹が立ちましたが。笑 名乗れない方々の状況も、家族会の方々はそのまま受け入れていらっしゃいました。 

海外で一人『帰国できないかも』と覚悟せざるを得ない状況に陥ったことがあります。国境の街で、小さな警察署に丸々1日より長く軟禁されました。麻薬がらみなら貴女は死刑だ、と釘を刺され、日本大使館への連絡も封じられたので、『仕方ないな、仕切り直して誤解を解きましょう』と腹をくくり、見張りの警官と仲良くなって、おしゃべりしてました。笑 

「あなたのボスは誤解してる。私は何も悪くない」「仕方ないよ。法廷で証明するしかないよ」「法廷はいつ開かれる?」「さあ。数ヶ月はこの国にいるしかないよ」「そっか・・。だったら言葉を教えてくれない?」ということで、現地語を見張りの警官に習いながら、何時間も待っていました。くそう!負けるもんか。絶対に帰国してやる!と思いながら。見張りの警官は、ぽっちゃりした大柄で、人の良い朗らかなおじさん。私に気を許してはならないと思いながら、ついついおしゃべりに興じてしまっていたと思います。真夜中、私を取り調べたオフィサーとの対話も、なんとも味わい深い、心の通う本音トーク炸裂で、多分、お互いに生涯忘れ得ぬ思い出でしょう。人って、どんな状況でも、楽しさと出会えるものですね。

異国で一人『やばいことになったぞ頑張ろう!』と覚悟したあの日の強い気持ちは、今も私の中に息づいていて、拉致問題のニュースを見た時、イスラム過激派に捕まったり殺されたりした人のニュースを見た時、色んな場合に、ふとよみがえり、他人事じゃない!気持ちになります。

横田めぐみさんをはじめとする拉致被害者の方々、皆さま、きっと帰ってきて欲しい!

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