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新日本フィルハーモーニー交響楽団『思う心のコンサート』〜忘れない、東日本大震災から10年〜今、音楽が必要❣️と思う理由

3.11から10年の節目。

東海市子どものオーケストラが前座で、エルガーの威風堂々を演奏。うちの子が、子どものオーケストラに入団しています。『すごくいいから、聴きに来て』と言われて、チケットを買いました。

コロナ禍のため、クリスティアン・アンミルク(指揮)から井上道義(指揮)に代わりました。井上氏のリハーサルが少し前にあり、「凄かった」と。帰りの車中から、夕食の間中、ずーっと、凄かった凄かった・・と言ってました。笑

新日本フィルハーモニー交響楽団のプログラム、最初はマーラーのアダージェット(交響曲第五番より第四楽章)。10年前の、3・11の日の夜、隅田トリフォニーホールで、たった105人の聴衆の前で演奏した、思い出深い一曲だそうです。チケット完売していた公演ですが、3・11の夜ですもの。東京都内。105人の方々、どういう状況で、どんなお気持ちで、あの夜、ホールに足を運び、この曲を聴いたのでしょうね。

あの日の私は茨城県に住んでいて、地震が来た時は、ちょうど幼稚園のお迎え時間。子どもをトイレに連れて行き、園庭に降りる時、すごい揺れて、子どもを連れて園庭に飛び降りました。あの時は、なんとなく、地震の避難訓練のような気分半分。子どもたちは、少し前に起きたニュージーランドの地震の印象が深かったのでしょう。口々に、ニュージーランドだ、ニュージーランドだ、と騒いでいました。大人たち、笑いながらも、いつもの小さな地震とは違う感じは受けていました。私も不安を感じながら、帰途につくと、途中の信号機が折れていたり、屋根が崩れていたり。これはエライことになったのではないか、と思いました。

うちに着くと、近所の人たちが、危ないから家に入らない方がいい、と口々に教えてくれました。鍵を開けてみると、家の中はめちゃめちゃ。3.11の夜は、集会所で、近所の人たちと一緒に過ごしました。誰かが、コンビニでパンやジュースを買ってきてくれたり、大きな鍋で炊いたものをくれたり。子どもたちは大喜びで、懐中電灯で遊びながら、走り回って遊んでいました。あの夜。

ブラームスのバイオリン協奏曲ニ長調(ソリスト:Munsu Choi)

茨城南部は、明るい農村の住み心地で、自然豊か。かつ、文化的な面も豊か。日常的に、車での移動距離が長くなる地域柄で、よく、子どもを乗せて車で走ってました。幼稚園も片道7キロ。途中、ブルーベリー畑があり、ブルーベリー狩りをして、摘んで食べたり。温泉に入ったり。きれいな場所で車をとめて、眺めたり。木立がアーチになった道を、わあ!と言いながら、走ったり。

車の中ではよくクラシック音楽を聴いていました。時々どん底まで暗くなるとスッキリして元気回復するタイプなので、車で走りながらマタイ受難曲を聴くのも好きなんです。だけど、マタイ、うちの子は嫌がったんですよね。足をバタバタさせて、ぐずりました。ブラームスのバイオリン・ソナタ、雨の歌じゃなくて、第二楽章が好きで、ニコニコ聴いて、『もう一回っ!」と。

茨城県は津波被害の東北沿岸部、原発事故の福島県の陰になり、ほとんど報道もされなかったのですが、震災からしばらくの期間、深刻なガソリン不足がありました。ご近所に、重度の障害のお子さんのいた方が、ガソリンがほとんどなくなり、不安で苛まされてると聞き、上の子の送迎を少し手伝ったりしました。私、3月11日の朝、幼稚園に送った帰りにガソリンを満タンに入れていたんです。日頃は満タン給油しない人だったのに。特に必要もなかったのに。なんとなく、です。我ながら謎の行動。さらに、間違って頼みすぎた生協の宅配が、やはり3月11日の昼。さらに、私はもともと湧き水好きで、うちの中には水タンクがありました。どうしてこんなに運がいいんだろう、私。やれることがあれば、人のために何かやろう、自分ばっか守っていたらバチが当たるわ!と思いました。

コロナ禍のコンサート。前ほど気楽に聴きに行けなくなった分、聴く方も真剣、演奏する方も真剣さがハンパないんじゃないでしょうか。以前は、どれだけコンサート行っても、本当に胸に響くコンサートは稀だったと思うんです。だけど、コロナ禍になってからは、なんか、本当に、良いなあ!と思うことが多いです。コロナ禍だけど、わざわざコンサート聴きに行く意味、リモートではなく録音されたものでもなく、生でリアルで聴きたい!気持ちが、明確になっている気がする。

ソリストのMunsu Choi氏が、アンコールでパガニーニを。素敵でした。

休憩を挟んで、ブラームスの交響曲第2番ニ長調作品73

そして、アンコールに、子どものオーケストラが前座で演奏したのと同じ、エルガーの威風堂々。

子どもたちが精一杯演奏したことに、プロの演奏家の方々が応える形になっており、配慮と学び、励ましがあり、とてもよかったです。子どものオーケストラは、コントラバスを担当していた子たちが、大学に上がる年齢になり、退団してしまい、コントラバスが不在の状態。そこを、プロのコントラバスの方々が助けてくださっていました。一方、新日本フィルの方は、打楽器が不在。そこを子どものオーケストラの打楽器の子たちが入っていました。補い合い、助け合い、学び、教え、双方向のやり取りがある中での一曲。

うちの子がしきりに「凄い」と言っていた、指揮者・井上道義氏。 BRAVOと書いた紙を出して、ブラボーを表現していた方に、「叫んでいいんだよ、私は大丈夫!」と舞台から一声、わざわざ言われたのも、なんか、う〜ん・・と思いながらも、いいなあ!と思いました。だって、芸術家ですもん。魂守らないとね。ただ、まあ、本当に叫んじゃダメですよね、コロナ禍なんだから。

叫びたい気持ちを否定してはいけない、と思うんです。本当は、叫んでいいんだよ!っていうことは忘れてはいけない、と思うんですよね。だけど、今はコロナ禍だからね、っていう。「事情」ですよね。まあ、所詮、矛盾に満ちた無理矢理な話だから、齟齬も出るし、腹も立つ。そういう中で、なんやかや、模索しながら生きていくしかない期間なのかな、と。

気持ちを表現しないことが癖付けされて、当たり前になっていくのだとしたら、それはイカンよね、ヤバイよね、と思うんですよね。

一見、何の関係もないようですが、

このコンサートの後、私は気持ちがほぐれて、元気が出ました。行き詰まって困っていた件があったんです。まあ、色々ありますよね、誰でも。コロナの今は特に、です。やれることは全てやって、耐えて、耐え抜いたつもりで、誠意も尽くして。それでもダメで。道筋が見えなくなっていました。コンサートの後、動いてみよう❣️という気持ちになれて、一歩踏み出す気持ちが出ました。その一歩が貴重だったのですね。そこから、さらに動くきっかけを得て、動き出したら、よい出会いに恵まれ、一気にパズルが解けて、道筋が見えてきました。

踏み出した一歩が実るか、正しい選択なのか、それはわからない。そこは別問題。まあ、色々経験しながら、元気に生きていけばいいと思うんですね。一歩踏み出す力の源に、音楽は作用できる。力がある。人の気持ちの奥深いところに触れて、癒やしたり、やわらげたり、励ましたり。だから、こんな時代だからこそ、音楽は必要なんだ、と思うんです。

「井上道義先生、すごい、すごかった」ばっか言いまくってたうちの子は、なぜか、コンサート翌日、朝ひと匙のヨーグルトを食べただけで、夜も少ししか食べませんでした。次の日からは、フツーに爆食い。笑

何の関係があるのかわかりませんが。笑

子どもなりに何かを受け取ったんだろうな。地殻変動のようなことが起きたんじゃないかしら。音楽には根源的な力がある。良い音楽は大事ですね。

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