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広島・ヒロシマ 水野秋恵(ときえ)さんのこと

ヒロシマの被爆者、水野秋恵さん。被爆者団体の愛知県支部の屋台骨を支えてこられた方(事務局長)です。ご自身は爆心地から1.2キロ地点での直接被曝。国内外で活躍されてきました。被爆者として精力的に活動されてきた方々は、心身ともに並外れた強さを持った方が多いと思います。水野さんも、強くて明るい。逞しい。聡い。上品。眩しく、輝くような人。

ヒロシマの被爆者は高齢化が著しく、被爆者のお話を聞く機会は年々少なくなる一方です。機会があれば、ぜひ、お話を聞いてください。

私は、夫の転勤に伴い、広島市に3年間住んだことがあります。2005年からの3年間。辞令が出て、東京に戻ることになった時、ハッと気づいたことがありました。そういえば、私、広島に3年も住んだのに、どなたからも戦争のお話を聞いてないわ、と。私は、どこに住んでも、なんだかんだ、土地の人との淡い交流、対話の機会に恵まれてきました。話しやすいタイプなんでしょうね。高齢の方の戦争体験についてお話を伺う機会は多かったんです。ところが、広島だけは違いました。誰一人、私に語ろうとした人はいなかった。

どうしてだろう、と引越し作業の手を止め、お茶を淹れて一服しながら、考えました。思い当たったことがありました。

他所の土地の戦争体験は全部過去の話、思い出話だったけど、広島の戦争体験は、全部、どこかしら現在進行形で思い出話にならないんだわ、と。

その時初めて、原爆の恐ろしさ、ヒロシマ・ナガサキの重さがずしんと胸に響きました。

大方の人は、ヒロシマを体験していても、ヒロシマを語ることができないのが普通なんだ、と急にわかったんですね。その上で、思い切って語ることを選んだ人たちの言葉は、ヒロシマの全てではないのだろうけど、それすら、私、一度も聞いてなかった、と気づきました。

平和公園にも、原爆資料館にも一応行きましたし、他県から訪ねて来た方をご案内することは何度もありましたが、暗く重い歴史を受け止めるのはしんどいので、自ら求めて知ろうとはしませんでした。それでも、他所の土地なら自然に耳に入ってきたのでしょうが、広島は普通に住んでいただけでは何も入ってこなかった。なんとなく、大きな忘れ物をしたままの気持ちで、広島から引っ越していったのでした。

水野さんは4歳の時に、原爆に遭われました。水野さんのお父様は地位のある軍人で、戦時下としては、豊かに暮らしてこられたようです。おまんじゅう(だったかしら?何か珍しいお菓子が手に入ったとかで)をいただいたから一緒に食べましょう、と誘われて、ご近所のお家に上がり込んだ時、爆風に吹き飛ばされました。

屋内とはいえ、直接被曝されているわけです。窓ガラスがバリバリ刺さって。

水野さんはまさにそうですが、ヒバクシャの方達は大量の放射能を浴びて健康被害を受けつつも、その年齢相応よりは随分若々しい方が多いです。あちこち体調の不調がある中で、あちこち飛び回って活躍してこられた方が沢山いらっしゃる。その秘訣は何か、どうやって健康を守り長寿を実現させてこられたか。

ヒロシマの場合、熱線を浴びた方々はひとたまりもなく亡くなられている。屋内で被災された方の中では、割れた窓ガラスが突き刺さった方の方が無傷だった方よりダメージが少ない印象だけど、一概にはいえない。アメリカによる被曝実態調査が始まる前の数ヶ月間の期間に、なんだかよくわからないままたくさんの人が亡くなっているようだけど、そこはカウント外になっている。のちに市内に入った方の中にも、相当数、被曝影響が疑われる症状や死亡が出たけど、内部被曝の健康被害については公的に認められにくいため、実態ははっきりしない。

やはり、被曝はしない方がいいに決まってるのですが、被曝した中で生き抜いていく時には、ずいぶん、色々な要素が作用するように思えるのです。生まれつきの体質の強さもあると思うのですが。社会的な強さというか、人の繋がりに守られるところも大きい。そうして後年、自分の為だけじゃない平和運動に尽力することで、一層、強く、お元気になられていくのですね。

水野さんにしても、被爆後の周囲の大人たちに命を守られていった過程というのが色々あるんです。田舎の親戚宅に身を寄せて、新鮮なお野菜などいただきながら養生した期間があったり、その後も、成長過程で様々な体調不良があったわけですが、お父様が都度都度早めに医療的措置をとられている。大体、ヒバクシャの方々は、日頃の暮らし方の工夫(規則正しく、早寝早起き、栄養バランスの良い食事、無理のない運動、ストレス発散、笑って暮らす・・など)に加え、小さな不調でもすぐにお医者にかかる方が多いです。自分を過信することも怠けることもなく、要所要所で医療の力を借りながら上手に生き抜いてこられている。その上で、あんまりクヨクヨしないで、元気に暮らしていらっしゃるわけです。臭いものに蓋して、辛い過去と向き合うことから逃避して、元気に暮らしているわけではない。気にするところと、気にしないところと。自分たちに適したバランスを見出してらっしゃるように思えます。

私見ですが。

「ヒバクシャ」になれた人たちは、心身も強く、運も強く、人柄もよく、社会的にも強い。色々な意味で、恵まれていたり、秀でている方が多いように思うんですね。被曝しても「ヒバクシャ」になることができないまま、死者になられた方々。色々な理由で「ヒバクシャ」にはなれなかった方がたくさんいると思うんです。熱線を浴びて瞬間的に亡くなられた方々、調査も始まらない頃に、なんだかよくわからないまま亡くなられてしまった方々、心が弱かったり社会的に弱い立ち位置で口を開くことができない方々。差別から身を守るために、自身の被曝を隠すことでサバイバルする方々も。

withコロナの今。世界中が色々な形でコロナ被災していますね。コロナとの戦いと同時に、経済的社会的な戦いがある。コロナ差別の問題も大きいですね。

どうしたらいいのでしょうね。

withコロナの今を重ねながら、ヒロシマ・ナガサキを思ったりしています。8月6日(8時15分)はヒロシマ原爆の日。8月9日(11時2分)はナガサキに原爆が投下された日です。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)のこと。今年は、75年目にあたります。withコロナ・バージョンで、いつもと違うスタイルでの式典が実施されました。

日本被団協が長年にわたり、出版してきた健康ガイドブック、問答集。かの有名な医師、肥田舜太郎先生のお書きになったハンドブック。人間的な語り口でわかりやすく実際的なアドバイスがたくさん書かれており、読んでいて、なるほど、と思うことも多く、ためになると同時に面白い。肥田先生は、自らもヒバクシャで、100歳で亡くなられました。大変お元気で活躍された方です。

8月7日の中日新聞朝刊掲載。

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