3.11から11年。あの時は、自分が生きてる時代に、こんな巨大災害に遭遇するなんて、びっくりだわ‼️と思いましたが、あれ以降、ほんとに色々ありますね。
大きな災害の時、これって何の偶然なんだろう?と不思議に思うこと、時々ありませんか。
阪神大震災で被災された方が、その方はとても美しくて気さくな女性でしたが、聞かせてくださった沢山のお話の中で、非常に印象的だったことがありました。
オシャレに命かけてる系の知り合いの中に、なぜか、あの日、きちんと服を着たまま眠っていた人たちがいた、というのです。お化粧までばっちりしていた人も複数いた、と。
もちろん、皆さま、常日頃はお化粧落として、スキンケアして、パジャマやネグリジェ着て、お布団に入っているのですよ。睡眠の質は、美容の肝ですから。
いつもは絶対にやらないのに、あの日だけ。
不思議です。
人前で寝巻き姿を晒すなんて絶対嫌だ、というオシャレな人たちが、ナマズみたいな本能で巨大地震を嗅ぎつけたんでしょうか。
わけわかりません。
3.11、東日本大震災の時、私は茨城県南部に住んでいました。あの地域は、アメリカの田舎みたいに、どこへ行くにも距離が遠くて、車がないと暮らせません。子どもの幼稚園の送迎も、片道7キロありました。東北沿岸部の津波被害と福島の原発事故の報道の陰になって、あまり報道されませんでしたが、地震の後、ガソリン供給のルートが途絶え、復旧するまで、ヒヤヒヤ、先の見えない、深刻なガソリン不足が起きました。
ところが、その点に関して、うちは大丈夫でした。
3月11日の朝、幼稚園に子どもを送った帰りに、私はガソリンスタンドに立ち寄り、茨城県に引越し以来、数回しかやったことのない満タン給油をしていたから。
なんで、あんなにジャストなタイミングで満タン給油したのか。本当に不思議。わけわからん🤷♀️
日頃は、1000円、2000円の給油しかしていませんでした。子どもくんがガソリンスタンド好きで喜ぶから頻繁に行きたかったし、週末になればダンナくんが満タン給油をするし、ATMが遠くて面倒臭いから手持ちの現金を減らすのが嫌だし、あの時期はガソリン価格が高かったから。
それなのに、あの日に限って、でした。気がついたら、やってた。
さらに、不思議だったのは、あの日が生活クラブ生協の宅配日で、間違えて頼みすぎた食糧が山のように届いたこと。花粉症で頭がぼんやりしていたから、変な間違いをしたのでしょう。
普通の時なら、あちゃー🤷♀️やっちまった💦って感じですが、この場合は、むしろ、好都合✨❣️
さらに、私は湧き水好きで、うちの中には汲んできた美味しい湧き水が大きなタンク2個分残っていました。
ありがたい✨🙏❤️
ご近所に、うちと同じ転勤族で、重度の障害のあるお子さんのある方がいて、必要なのにガソリンがなくて、大変な思いをされていると聞きました。
地元の人同士は、何やら闇ルートのガソリンを分けてもらえる場合もあるらしく、近所の小さなガソリンスタンドに、閉鎖的な混雑ができていた時もありました。
転勤族は、こういう時には、地域に仲間が少なかったり、誰もいなかったりで、心細いのです。孤独感、あります。
せめて、何か少しでも、と思い、上の子の送迎を買って出ました。大したことじゃないけど、気持ちが少し楽になったみたいで、私も嬉しかった❣️
大災害の時は、木が沈み石が浮くような、理不尽や不条理が山盛り起きますが、その裏で、小さな奇跡や偶然すぎる重なりや、ありえないラッキーも起きやすい。
不思議なラッキーを受け取ったら、困っている誰かに分けてあげることができれば、嬉しくて、気持ちいい✨😊
そんな風に、思っています。