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三浦春馬くんに寄せて。大切な人を自死で亡くすこと。大人が囲碁を習うことにどんな意義があるだろうか。

時々思い起こす・・てことは、何百回も何千回も反芻してるわけですが。幼なじみの、友人のこと。

先日亡くなった俳優の三浦春馬くんが30歳。彼女は29歳で亡くなりました。彼女は挙式を目前に控えていました。新居に嫁入り道具も全て入り、皆から祝福されていました。私は結婚式に出席する予定で、振袖の小物をチェックしていた、ちょうどその頃だったと思われます。

お身内は、彼女の突然の死を、彼女が自ら命を絶ったという事実を、受け入れ難く、彼女の死は何年間も世間に伏せられました。私が知ったのは、3年も経った頃。本当に、心の底からびっくりして、ショックで、しばらく生理が止まりました。

お母さまにお墓参りに連れて行っていただくことになり、当時私が住んでいた地域からは遠かったので、その晩は泊めていただき、一晩語り明かしました。あの晩、私とお母さま、深くて大きな謎の真っ只中に投げ込まれちゃった同士だった。

なぜ?どうして?何がいけなかった?どうしていたら止められた?・・・という思考にハマるので、過去の一つ一つに遡って、一つづつ検証して。無限ループ。

特にお母さまは子育ての一つ一つを、詳らかに振り返るんですね。何度も何度も。

友人は大変慎み深い人でしたけど、お母さまも人前で生々しいことを明からさまにしない人。できるだけ思い出さないように、考えないようにしてきたの、と。だけど、いくら考えまいとしても、思い出すまいとしても、忘れることなんてできるはずがない。ずーっと胸にためて、何度も何度も反芻していらっしゃったのでしょう。

ダムの決壊みたいでした。次から次から遡って、小さい頃の写真や、手紙、小さなメモまで引っ張り出して。

これ、知ってる?あの子はこの時何を思っていたのかしら。この時、どんな風だったのかしら?

あー、これ、知ってます。あの時はこんな事があって、、。

二人でお互いの思い出箱をひっくり返して、ピースを合わせていく感じ。

私は彼女の一番古い友人だったので、共有できるのです。しかも、親には見えない側面を見てきているから、ピースを合わせると、発見がある。

お母さまは、とめどなく、滝のように涙を流して、一晩中泣き続けられました。人間はほとんど水分でできているんだろうけど、それにしたって、こんなにも涙を流し続けて、干からびてしまわないだろうか、と思うくらい。流した涙を溜めたら、お風呂が溢れるんじゃないかかと思うくらい。

小さなメモには、聖女の言葉のようなものが書きつけられていました。多感でストイックな思春期女子の、琴線に触れたというか、雷に打たれたというか。感銘を受けたんでしょう。その後にも、同じ言葉を書いたメモがありました。そう言えば、交換日記をやっていた頃?文通?そんなような言葉を見たような・・。微かな記憶がよぎりました。

自分で言うのもナンですが、小さい頃の私は優等生でした。彼女も同じく。私は勉強しないのに点数は取れる怠け者タイプで、彼女はきちんと勉強して点数を取れるようになったタイプ。運動もよくできて、性格も良く、人望もある。家庭も円満。おまけに美人。

彼女は中身が詰まっていて、土台がしっかりしてる。私は空疎で土台も脆弱。彼女の方が、人として立派だし、私なんかとは比べものにならない、上等で実力がある。素敵だなぁ、と思っていました。

死ぬことないじゃん・・

みっともなくても、情けなくても、生き抜こうと頑張れ〜!迷いまくったら、旅に出るとか・・自分の殻を破ろうよ!動けば、何かが変わっていくから!死ぬくらいなら、ダメ元でなんでもやってみたらいいのに。(命がけで)魂かけて旅に出た方がマシじゃん・・

と思うけど。

おそらく、彼女の根っこはそんなところにあったんじゃなくて、ちょっと違うところにあったのでしょう。それもわかります。

彼女のお墓参りの旅から戻った夜、彼女が夢枕に立ちました。一番輝いていた頃のセーラー服姿で、「いく(私の呼び名)は頑張って」とだけ言って、お父さんと一緒に、去っていきました。

お礼とお詫びをかねて、わざわざ来てくれたんだな、と思いました。

生きてると、火の粉もかぶるし、泥水も啜るし、時には煮湯も飲むわけで。汚れちまった悲しみ(by 中原中也)にまみれるわけですが。

だけど、やっぱり、彼女の死にいたる成り行きは残念で、今振り返っても、胸が苦しくなります。

一つ思うのは、彼女も、自分の意思で思いっきり生きてみたかっただけなんじゃないのかな、と。

良い子は「良い子ども」なのではなくて、「都合のよい子」という側面がありますよね。良い子には、「良い子の陥りやすい罠」がある。


囲碁は自由にどこに打ってもいいルール、と言っても、ちっとも自由じゃない、というところは、囲碁を習い始めた人が皆、すぐに気づくところだと思います。好き放題、自由気ままにやれるわけじゃない。

その意味は二つ。一つは、身につけるべきものは身につけないと、深まらないし強くもなれないということ。もう一つは、自分がやりたい!と思ったことを責任持ってやり通す、筋道を通すことが大事ということ。対局相手も、その人のやりたいことがあり、その人なりの筋道を通そうとしてくるので、好き放題には打てません。意思を貫くには、実力が必要。知恵と勇気が要ります。

身につけるべきものを身につけるといっても、いつまでも、この手で良いですか?と、先生の顔色を見て打つばかりでは、何のために打つのか、そもそも囲碁を打つことの意味自体が失われてしまう。操り人形が打つわけじゃないし。上手の後ろばっかり付いて回って、言いなりになってばかりでは、楽しくもない。やがて嫌になってしまうことでしょう。

先日、そんな風な碁を打ったら、ものすごく叱られました。こういう形が常識的かな?無難な感じ?よく出てくる形だから、こういう時はこう受けるんだよね、という連続。

碁は自由と言っても、本当は自由じゃない!!自分が何をやりたいか。自分の気持ち乗せて、一手一手、打たないと!!

年下のプロ棋士の先生に、しっかり叱られました。吉田さんは、囲碁を伝えてくれる人だから、かめーご 立ち上げてくれたから、というところで、ビシーッと怒ってくださったようです。ありがたい。私の碁、まだ、めっちゃレベル低いですが。レベルの問題じゃないってところですよね。本質的なところ、すごく怒られた!

日頃はそんな怒る先生じゃありませんが。

私、思うんですよね。囲碁を伝えるんじゃないとしても、です。大人が習い事で囲碁を習う場合に、わざわざ習う意味とか、面白さとかがあるとしたら、こういうところなんじゃないか、と。今さら何になるわけじゃないし、とか、勝てなくても良いから、とか、ボケ防止というような、生ぬるいことをやるために、わざわざ囲碁を習う人なんていません。照れ隠しに「ボケ防止」ということは皆さまよくおっしゃるけど。

まあ、怒る怒らないじゃなくて、真剣に向き合ってくださることがありがたい、嬉しいことなのです。

やっぱり、誰だって、真剣に生きていきたい。元気に、楽しく、生き生きと。一歩一歩、1日1日、かけがえがないですよね。

今はwithコロナで、先行き不透明感満載、激動の時代です。不安から、ギスギス、疑心暗鬼になったりもありますね。そういうのは、いやですね。

気をつけながら、楽しく。仲良く。

元気に、生きていきましょう。前向きに。

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