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コロナ禍の卒業式〜子どもたちの『歌わない歌』が刺さった。『4分33秒』byジョン・ケージを想った

子どもくんの卒業式に出席しました。2022年3月3日。公立中学校を卒業しました。

オミクロン株で蔓延防止措置中の卒業式です。

コロナ前の、フツーの卒業式は、式辞と歌がメインで構成されていたけど、コロナ対策の観点からは、人が集まること、声を出すこと、室内に長時間いることはNG。

式は、室内にいる時間を短く、集まる人数を少なく、声を出す人の数を少なく。

必要最小限、絶対に外せないものだけ残して、絞りきる形で行われました。

卒業式で一番大事なのは、卒業証書の授与です。そのための式典ですからね。

名前を呼ばれたら、大きな声で『はいっ❗️』と返事して、しっかり歩いて、きっちり受け取って、席に戻る。式全体を通して、発する言葉は、この一言だけ、という子がほとんど全員なのです。『はいっ❗️』の一声のみ。どの子も、大きな、立派な、良い声でした。『はいっ❗️』

式典のお稽古と準備について。「先生方、頑張ってご指導、そしてそれ以上に、すっごく準備に時間をかけてくださっていたんだよ」と子どもくんに聞きました🙏🙇‍♀️👏🏻卒業生=受験生だから、お稽古にさける時間は多くありません。その分、先生方が頑張ってくださったのでしょう。ありがたいな✨💕子どもたちも、よく応えたのでしょう😊

校長、在校生代表、卒業生代表の式辞・送別の辞・答辞。

気持ち込めて、しっかり。

教育委員会、市長、PTA会長の告辞・祝辞は紙面にて割愛。祝電披露も掲示で。

コロナ前の長い式典が遠い夢のよう。これはかえって良いわ✨💓😘と思うところも、正直言って、あります💡

だけど、ちょっと待てよ⏸✋

どうなんだろ〜🤫🤫🤫

学校は、先生と生徒だけでは成立しない。していない。社会の中で、沢山の方々に支えられて存在しています。公金もいただいています。学校の中にだけいると、日頃は見えない、そういうところを、私が感じ始めたきっかけは、式典の来賓の存在でした。あの人たちは、なぜ、来るんだろう?教科を教えてくれたり、寄り添ってくださるのは毎日お顔を見る先生方だけど、先生方が学校を作ったわけじゃなさそうだ。学校って誰が作ったんだろう?どうやって続いてきたんだろう?そんな疑問や気付きから、社会の仕組み、様々な人の思いや繋がり、組織の力学や綾を感じるようになりました。それって、大事なことだと思うんです。

色々考えちゃいます〜🤫🤫🤫

コロナ禍で、否応なしにリセットされた状況から、新しい時代に合うやり方で、本質に根ざした良い形が作られていくといい、と思います。


式典全体を通して、最も鮮烈だったのは、『歌わない歌』でした。

コロナ感染の状況が悪く、蔓延防止措置中なので、皆が一堂に会して歌うのは控える。歌ってはダメ。だけど、歌いたい。歌わせてあげたい。

感染対策と人間的な気持ちがせめぎ合った挙句、『歌わない歌』という特異な表現の形になったのでした。

子どもたちがマスク姿で沈黙したまま、皆で歌うはずだった歌のピアノ伴奏の録音が流れる中、スクリーンに、思い出アルバムとともに映し出される歌詞を見つめていました。心の中で歌っていたのでしょう。

くるっと保護者の方に向き直って、マスクしたまま、声を出して歌うことはなく、校歌の録音が流れる中、ただ、しっかりと立っているのでした。私はどこを見たらよいのかわからなくて、俯いてしまいました💦

あまりにも異様で、切実で、鮮烈でした。生まれて初めて見た光景に、息を呑み、胸を突かれました。

あとで子どもくんに聞いたら、コロナ禍の制限の中で、できるだけのことをしてあげたい先生方の熱意があり、やりたい❗️子どもたちの意思があり。先生方と子どもたちの対話の中で、こんなにも歪で、力強い、異形のスタイルが出来上がった、ということらしい。

この子たちは、こんな風に過ごしてきたんだなぁ、ということが、よくわかりました。突き刺さるように、伝わってきました。子どもくんが、音楽の時間にリコーダー吹いちゃダメになって、鉛筆を縦に持って指だけ動かしていた、と言ってたこととか。給食の食べ方、とか。体育のやり方とか。登下校とか。色々。そして、それは、子どもたちに限ったことじゃなく、私個人も、社会全体、世界中が、このパンデミックで、急激な変化、試行錯誤、矛盾、葛藤に晒されたわけです。

ジョン・ケージの『4分33秒』が脳裏をよぎりました。フルオーケストラで、指揮者がタクトを振りあげ、曲がスタートしても、誰も演奏しない。指揮者もタクトを振らない。ソロのピアニストがいてもピアノは弾かず、譜面をめくるだけ。静寂の中、きっちり4分33秒で、指揮者が曲の終わりを示すという、有名な『曲』です。1953年初演。

『歌わない歌』は、コロナ禍の成り行きの中で、偶発的に生まれたもの。その意味でも、ジョン・ケージ的。ああ『コロナ禍』だなぁ、としみじみ思ったのでした。

式典後、学年主任の先生から、保護者に向けて涙ながらのお話がありました。これで退職というベテラン先生です。卒業生の歌のパート練習に入ろうとしていた時期に、オミクロン株がひどくなり、卒業生の歌は歌えないことが決まり、その後さらに感染状況がひどくなり、校歌も歌えない状況になった、と。どうしたらいいか、会議を重ね、話し合いました、と。ベテランの先生ですから、何十年も見続けてきたコロナ前の卒業式とはかけ離れた卒業式の形に、深い衝撃がおありだったことでしょう。

コロナ禍。コロナには実際に罹患する人もあれば、罹患しない人もあるでしょうが、なんらかの形で『コロナ禍』をかぶらない人は皆無なんじゃないかしら。

しみじみ、そう思います。

がんばろー❣️❣️

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