この世のものではない不思議なお話〜沖縄 荒崎海岸・ひめゆり学徒の女の子たち、健児の塔・鉄血勤皇隊の男の子たち ②健児〜ポケモンGOをやりながら

この夏。少し長めの日程で、沖縄に行きました。夫が沖縄に単身赴任中です。来たるべき転勤引越しに備えて、うちの片付け整理をしながら、蜜を避け(コロナ禍、第7波の真っ最中)、気をつけながら、沖縄本島を北から南まで、あちこちまわりました。

暮らしながら旅をする感覚。

だから、遠出する日もあるけど、それは『ハレ』の日。数日に一度の割です。大方は『ケ』の日。片付けながら、ちょっと外に出て、買い物して家に戻って、片付けながら料理して洗濯掃除して、二人でご飯食べて、というペース。

その『ケ』の日の外出のほとんどに、平和祈念公園の散策、を組み込みました。夫と二人でポケモンGOをやりながら、歩きました。夫は、健康診断で太り過ぎを指摘され、歩くように医師に勧められたので、朝夕の涼しい時間に、自転車に乗ったり、歩いたりを続けています。平和祈念公園の散策も、よくやっています。

「広大なお墓でしょう?どうして、そんな場所にしょっちゅう行くの?」

そんな風に聞いたりしていました。

沖縄県南部はひどい激戦の跡地。悲劇の場所に、日常的にお散歩に行くことにためらいがありました。不謹慎じゃないかしら。怖いじゃん。悲惨な歴史を知ることは大事だと思うけど。怖すぎるじゃん。日頃はむしろ『忘れたように』暮らしたい。考えたくない。

私も夫も沖縄県には転勤で来ました。もともとは縁がありません。『部外者』があまり立ち入るべきでないのではないかな、と。遠慮の気持ちと、あまりにも残酷すぎる怖い歴史を知りたくない意識と背中合わせです。

大体、私、すでに沖縄では『色々と』あるのです。

(私は指の骨が折れたし、アナタは肩の骨が折れたでしょー)

それなのに、なんで、わざわざ平和祈念公園にお散歩に行くの⁉️と言いたくもなる。

夫は、高校の社会科教員の免許を持っていて、歴史の素養がある。加えて、沖縄に赴任してからは執務室に備えてある沖縄の歴史に関する分厚い本を3冊読み込み、地域の方々の話を聞き、『知ろう』と努めています。ちゃんと、深く学ぼうとしてる。

私より夫の方が、行いが正しく、考えも立派で、人として上等だなーと。

だから、「行こ」と夫に言われたら、断ることはできませんでした。


沢山の立派な慰霊碑が、とても広大な場所に、美しく配置されています。

が、

この辺り一帯が、史上稀にみる悲惨な、ぐちゃぐちゃな、惨劇の跡なのですよね。

そして、

平和祈念公園内は、ポケモンGOのスポットが沢山あります。

夫と二人で、ポケモンGOをやりながら、既に色々知識を持っている夫に教わりながら、戦争のこと、沖縄のこと、話しながら、考えながら、歩き回りました。

『健児の塔』は、学徒動員された男の子たちの塔です。霊域の最奥に、陸軍司令部の、黎明の塔がある、その手前に、下に下に降りていく階段道があり、ずーっと降りて行くと、男の子たちが亡くなった壕(ほら穴)があり、その先に健児の塔があります。

「行こう」と誘われ、下を覗くと、先の見通せない深い階段山道。「行かない」と断りました。

霊域の下からこの地点までは、なだらかな登りの山道状態で、かなり歩きます。(お参りの多い時期は、園内カートが走っていて、安価で利用できます。許可を得て、車を乗り入れることも可能なようです)さらに、この階段山道を海岸線まで下るのは、キツイな、と。しかも、この日は小雨が降り、じめじめした日だったから、ハブが出そうで嫌でした。

車に折りたたみ自転車を積んできて、二人で自転車でまわることもありました。

いつも停める駐車場から離れた場所に、健児の塔の入り口が。

今はコロナ禍で状況が変わっていますが、大型バスが停車でき、右の建物はお食事もできるようです。ここは、海岸線に近い、低い場所なので、黎明の塔から下に降りるより、楽に歩いていけます。

「行こう」

夫が先に行き、私がしぶしぶ後を追う形。

入口の看板を超えると、古いトンネルがあり、夫が自転車を降りて、中にいました。私は、気が進まないのを押して行く感覚で、自分を励ますというか、景気づけ?みたいな感覚で、自転車に乗ったまま、トンネルに入ったとたんに、つるつる、すってん、と自転車ごと転んだのです。(ありがとう、ヘルメット⛑)

雨が降って、下がヌメヌメ、つるつる。自転車を押して歩こうとしても、滑るくらい。

沖縄は湿度の高さがハンパないから、雨が続くと、ヌメヌメ。

お気に入りの古いスニーカーの靴底がすり減っていて、ツルツルだったのです。

しっかし、このトンネル、やだなぁ。暗くて、もやもや。なんか、へん。

自転車を起こしながら、目を凝らし、ジッと壁を見ました。黒っぽい煉瓦みたいな長方形の石積み。意外と大きめな広いトンネル。壁面のくぼみに灯が灯ってる?そんなばかな。炭鉱じゃあるまいし。

なんか、へん。

なんか、へんだよ、このトンネル。

天井は?どうなってる?

確かめようと、目を凝らしても、はっきり見えない。太い枕木みたいな感じ?のような。

はっきり見えない。見えなさ具合が、なんか、へん。

「ほら、行くよー」

夫にうながされ、歩き出そうとすると、また、つるつる。滑る、滑る。

「行かないっ!今日は帰るっ」

怒りながら、強制終了。退散。


そして、おもろ町のショッピングモールで、新しいスニーカーを買いました。

これで、もう、滑らないわ。一安心。

家族から離れたい年頃の息子に、ババの片付けの手伝いをしに来なさい、と、初めて一人で沖縄に来させて、二泊三日だけ滞在。私はまだ沖縄に居るけど、という風。

息子も一緒に平和祈念公園に。

そして、三人で健児の塔に行きました。黎明の塔から降りるコース。スカンと晴れ渡り、ジメジメ感はなし。たぶん、ハブも出ない。

下って、下って

降りて、降りて、

この壕。

この洞穴で、うちの子くらいの年の男の子たちが沢山亡くなったんだ。

壕には入りませんでした。外から、お参りしました。

酷い。酷すぎる。こんなの、あんまりだ。頭くるわ。腹立つ。むかつくわ。ありえん。こんな所で、子どもたちが死ぬなんて。

腹立って、ぶーぶー怒りながら、戦争はいかんね、最低、と話しながら、歩きました。

さて、

最後に、あのトンネルがあるはず、、あれ❓

あれ⁉️

あれれ⁉️

最後に、あったはずの、あの暗いトンネルは、ありませんでした。

トンネルがない❗️トンネル❗️ない❗️

トンネルトンネル、騒ぐ私。😨🤔😓🙄🥶😑😱😳😶‍🌫️🤯

息子は、寒気する、怖い、と。😨😰😨😰

夫は、そっか、あの時、トンネルが見えてたんだね、と。🤔☺️


後日。

私と夫、二人で、平和祈念公園内にある、資料館に行きました。あのトンネルが気になって。もしかして、あの場所にトンネルがあったんだろうか。調べたくて。

展示物の中に、鉄血勤皇隊のものはなく、手がかりは得られませんでした。

だけど、沖縄戦について、前よりははるかに、知ることができました。


ゆっくり展示を見てから、ライブラリーへ行きました。司書の男性に、鉄血勤皇隊関連の本を出していただき、夫と二人で、調べました。

司書の男性に事情をすっかり話して、トンネルの手がかりを得たい、と思いましたが、真四角が服着て歩いてる風情の司書さんの風貌にやられました、萎えました。

こんな変な話、とても言えんわ〜。

あきらめて、夫と二人で、モリモリ読んで、調べました。

あの場所が当時どうなっていたのかは、さっぱりわかりませんでした。


ただ、ひとつ。気になった情報が。

鉄血勤皇隊の男の子たちが、首里城の地下に巨大なアリの巣みたいなトンネルを掘る役目を担っていた、ということがわかりました。戦時下の沖縄で、当初、首里は最も重要な軍事拠点だったのです。第32軍司令部壕。巨大な地下要塞です。5つの入口(坑口)があり、トンネルみたいな道(坑道)があったらしい。(現在、はっきり分かっているのは、南側の第5…坑口のみ)

『地下30メートル、延長戦数百メートルの大洞窟、多数の事務室や居室、かつての銀座の夜店もかくやと思う。二六時中煌々たる無数の電灯、千余人の将校を収容して、さながら一大地下ホテルの趣きがある』〜by八原博通元大佐の手記より(32軍でナンバー3だった方)


32軍司令部壕の現状はというと。。

撤退の際、軍司令部が、機密文書などを隠蔽するために、壕内をあちこち爆破したので、崩落が起きて危険な状態。

沖縄戦の真実を知るために重要な歴史遺産であることは間違いないのですが、過去に幾度も、保存&公開の機運が高まっては頓挫しており、いまだに未公開のまま。

2019年に首里城が全焼。そして、地下壕の保存&公開の機運が高まり、沖縄県が2025年第五坑口公開開始のスケジュール案を示しました。2026年首里城正殿復元と合わせて、司令部の中枢機能のあった第一坑口の位置の特定、調査を進める方針とのこと。

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