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転勤引越しの旅〜沖縄から熊本。ついでに有意義に❣️

2023年春、夫(単身赴任)が沖縄から熊本に転勤しました。コロナ禍は、、病としてのコロナが終息したわけではないけど、岸田政権は収束の方向に舵を切り、『終わっていく』流れが見えてきていました。

沖縄には、コロナ禍が始まった2021年春から2年間。夫と会えない期間もありました。森閑と人気のないセントレア空港から、やはり人のまばらな那覇空港へと行き来した日々も。

沖縄から『本土』の転勤引越しはなかなか大変でした。運送会社によりますが、数日から1週間くらい、日をまたぐ引越しスケジュール。まあ、翌日荷入れとか言われても、こちらも荷出し後は掃除や手続きの後で移動するわけで、無理がある。身体もくたびれてるので、休憩して英気を養ってから荷入れに臨みたいっていうのもあります。適度に日を跨ぐ方がいい面もある。それはそうなんですが。。宿無し期間、どーする❓💸💸💸😅💦

荷出ししたら家無し布団無しです。キャンプ好きなら、また、色々やりようもあるでしょうねぇ。それも良さそう楽しそう🎶実家が近く、赴任地の近く、移動の中間地点なら、数日お世話になる選択もあるかもしれない。

うちは宿を確保しました。夫は車中泊も平気ですが、私は無理。ひどい花粉症なのに医薬品で何度もアナフィラキシーショックを起こしているので医療に頼ることができず、毎年生きてるだけで精一杯の状態に陥るのですね。夫の転勤は春で、ちょうど花粉症シーズン。花粉症は大体お正月明けくらいからジワジワ始まり、2月から具合悪くなり始めて、3月末4月初めには既に身体がへたっているのが常。その上私は腰も弱いので、車中泊は後々祟ります。←祟ったことある🙋‍♀️

前に両親が沖縄に来た時皆で泊まったホテルを予約。夫と私と子どもくん、3人で一泊。子どもくんは始業式が控えているので、翌日昼のフライト✈️で愛知に戻るスケジュール。午前中に海軍司令部壕に行きたいと子どもくん。私と夫はさらに那覇で一泊して、フェリー⛴️で車ごと鹿児島に移動する予定を組みました。組んでいました。。

子どもくんの希望で行った旧海軍司令部豪。

太田司令官を知れたことが大きかったです。心根の正直な立派な人。

引越し前の冷蔵庫片付けポトフ作って、荷造り荷造り。。(といっても、実際のところ、私は荷造りはほとんどしません。夫と子どもがほとんど全部やってる)

ところが‼️引越し当日、フェリー⛴️の欠航(悪天候のため)が決まりました。スケジュールを組み替えなくてはなりません。急遽車を陸送してもらうことにして、私と夫は飛行機で行くことに。新しい住処は飛行場からは随分遠く、公共機関では行けません。急遽レンタカーを手配。引越しハイシーズンなので、どこも予約はいっぱいで、頭を下げて頼んで、なんとかかんとか、予定を組み直しました。

実は、うちの転勤引越しの荷造りの99%は夫と子どもくんが荷造りしています。私は荷造りの実働は下手くそで苦手な上、ひどい花粉症なので、荷造り部隊としてはびっくりするほど役立ちません。が、こういう不測の事態になると、なぜか活躍するのですね。それから、私がいると知らない土地に行った時に、なんだか楽しいようです。

もともとフェリーに乗る予定だったので、フェリー乗り場に最も近い、リーズナブルな古いホテルを予約していました。

離島の玄関口でもあり、なかなか味わい深い宿です。長年定宿にしている離島在住の老夫婦が、ロビーでゆったりとタバコをふかしていました。朝食はコロナ禍バージョンで、従来のビュッフェスタイルではなく、お弁当🍱。細かく時間を聞かれたわけは、ホカホカご飯を詰めてくださる配慮から、とわかりました。沖縄は暑いから、衛生の配慮でしょうが、温かい気遣いも含まれている感じがして、ほっこりしました。

明日のフェリーは欠航と決まっているし、急遽予約した私たちのフライトは明後日です。

夫婦デートしよう❤️と決めて、素敵なステーキハウスで夕食。沖縄は焼き肉やステーキの美味しい店が多く、リーズナブルな店、楽しい店もあります。この日私たちが選んだのは、静かで美味しい店。ほんとうに美味しかったわ。くつろげました。また行きたい❣️

そして翌日、一泊おまけの那覇です。

どうせなら有意義に❣️そして楽しく❣️

空港にアクセスの良いホテルに泊まることにしました。ランチビュッフェが人気のきれいなホテル。住んでる時には泊まる機会がないから、ワクワクするわ💓

行けてなかった戦跡を夫と二人で巡りました。

対馬丸記念館は、その存在自体が価値がある場所だと思いました。対馬丸が米軍に攻撃され沈没したことは、戦争を進める上で不都合な事実だったため、箝口令が敷かれ、長い間口を封じられていたと言います。が、ひめゆり学徒のことを調べていると、対馬丸が沈没した件は知られていたことがわかります。対馬丸は母子疎開の多かった船で、亡くなられた方の名簿を見ていくと、身籠った母親が幼子数人と一緒に亡くなっていたりします。

ホテルのバーラウンジで乾杯。乗れなくなったフェリーを見下ろしながら。

甘いカクテルは夫で、オンザロックは私です。レモングラスなんちゃら言う激甘カクテルとアイラのシングルモルト、ラフロイグ。

こういうのって、一生忘れないと思うわ。

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