旅から帰った人から直接、話を聞くのが好きです。機会があれば、熱心に話を聞いた時期が長かった。長いこと、私は一人旅に憧れていたのです。旅の写真を見せてもらい、夜更けまで、話を聞くようなことがよくありました。友人はもちろん。バイト先、行きつけのカフェやバー、法事、飲み会。
昔の私は一人旅なんて、到底無理🙅♀️🤷♀️な人でした😅💦全然やれる気しなかった。だけど、いつかやりたい💨😤やれる人になりたい💓😤と情熱燃やしていたのです🔥🔥長年かけて自分を鍛え、周りの人よりはかなり遅い年齢で、一人旅に出ました。マレー半島の一人旅に。マレー鉄道に乗ってジャングルへ。
その旅の数年後、素敵で凄い旅の話を聞きました。話してくれたのは、当事者ではなく、その親友。肉親のような、特別に親密な間柄の。
旅をした女性は、生まれつき、目が見えません。仮に、サクラさん🌸としましょう。私に話してくれた方も目が見えません。モモさん🍑としましょうか。
目が見えないといっても内容は色々です。
モモさん🍑は、完全に視力がないわけじゃなく、ぼやぼや〜と、何かしらは見えるらしいです。サクラさん🌸は完全に全盲でした。時代は昭和初期。目の不自由な二人の少女は、それぞれ、親に連れられて、あん摩さんの師匠に弟子入りし、姉妹弟子となったのです。まさに、同じ釜の飯を食べていたのでした。
修行が進むと、『門付け』というのでしょうか。チリンチリンと、鐘を鳴らして街を歩いたそうです。呼び止められると、立ち止まり、あん摩をしてもらいたい人が、手を引いて、その人の家や店に連れて行ってくれて、そこであん摩をする、というスタイル。最初は師匠のお供で。次第に、独り立ち。盲目の若い女の子がそんなことをするなんて、危ない😱🙅♀️怖い😨🙅今じゃ考えられないスタイルだと思いますが、昔は『あり』だったのですね。といっても、サクラさん🌸は全盲なので、近所のお宅に伺うにも、お母さんが手を引いて前まで連れて行く、という風だったそうです。危うさをカバーする優しさに守られ下支えされて、成長されたのですね。
サクラさん🌸とモモさん🍑は仲良く修行をして、二人とも一人前になりました。色町で水商売のお姉さん達を按摩することもあれば、温泉町に派遣されることもあったそうです。年ごろになると、モモさん🍑は、目の不自由な男性と結婚しました。ウグイスを飼うのが好きで、美しい声で鳴く子を育てるのが上手だったそうです。そういえば、モモさん🍑も明るく澄んだきれいな声でした。まさに鈴を振るような、朗らかな声。目の不自由な人は、声が良い方が多い気がします。良い声で、明瞭に聞きやすく話をされる方が多い。
サクラさん🌸は結婚せず、独り身でした。そして、ある日、恋に落ちたのでした。韓国から日本に働きに来ていた、妻子ある男性と。
モモさん🍑はサクラさん🌸のことを、本当に大切に思っていました。だから、この話を、ふしだらで安っぽい話とごっちゃにされたくなかったと思います。真っ直ぐに受け取ってくれる人に話したかったのでしょう。誤解されやすい話だから、ずっと、誰にも言わずにいたみたい。
男性は、自分には韓国に妻子がいること、いずれ帰国することを、きちんと話していました。サクラさん🌸は、全て承知していたのです。
サクラさん🌸は、男性と出会って、気持ちが開け、明るくなりました。それまでは、全盲ということもあり、お母さんの庇護から離れられなかったのに、少しづつ離れて、自立心も強まりました。お母さんの方も、全盲の娘が心配で離れられない面があり、相乗効果で、強固な母子カプセルができてたみたいです。そのカプセルをぶち破って、一人で外を歩きたい意欲が湧いたのですね。恋のパワーで💖🌋💣💥
モモさん🍑は、サクラさん🌸の心が開けていくことは応援したい。だけど、妻子ある男性ですから、いずれは別れる運命。そうでなくてはならないと思っていました。別れの時にきれいに別れられるように、人の道を外れて暴走しないように、しかも心が折れないように、この恋がサクラさん🌸の人生にプラスに働くように、気持ちの面で、セイフティ・ネットを張る深い配慮で見守り続けたのです。友愛💖ですね。
そうして男性は韓国に帰り、二人は別れ、二度と会うことはありませんでした。サクラさん🌸の恋は終わったのです。
でも、生身の恋は終わっても、サクラさん🌸の心の炎は🔥消えません。モモさん🍑が他の人とのお付き合いや結婚を勧めても、サクラさん🌸の心は動きませんでした。
サクラさん🌸は、少しづつ努力して、一人で色々な場所に行けるように、自分を訓練し始めました。韓国語をわかりたくて、韓国人のお客さんに少しづつ習いました。実家を出て、一人暮らしも始めました。
そうして、15年以上の歳月が過ぎました。サクラさん🌸も『お婆さん』と呼ばれる見た目年齢になりました。
そして、ある日、サクラさん🌸は、生まれて初めて、パスポートを取得したのです。韓国に行くために。
韓国の空港に到着して、いきなり困ったそうです。右も左も、何もわからなくて。
サクラさん🌸は、とにかく韓国という国に行きたかった。ただ、それだけなんですね。その場に自分の足で立ち、その空気を吸いたい。そして、できれば彼の郷里に行ってみたい。自分の命があるうちに、一度でいい、死んでもいいから、韓国という国に行ってみたかったのでした。
彼の郷里は空港からは遠い田舎で、どうやって行けばよいやらわかりません。彼は年上だったので、生きているかもわからない。
立ち往生している全盲のお婆さんに、韓国の人たちは優しかったそうです。「韓国の人ってのは、年長者を敬う気持ちが強いのですってね。サクラちゃん🌸が困っていると、誰かしらが気遣って、声をかけてくれたんだそうです。本当にありがたい🙏✨」と、モモさん🍑
結局、サクラさん🌸は、幾人もの親切な韓国人に助けられ、手を引かれ、食べることにも泊まる場所にも困らず、乗り物を乗り継ぎ、男性の郷里の田舎にまで行くことができたのです。男性は日本に出稼ぎに来ていて、故郷が懐かしかったのでしょう。故郷の話を、しょっちゅう、していたのです。サクラさん🌸は、そこに行けて嬉しくて、感激で、満足したのだそうです。
目の見えない人が、その土地をどのように認識するものなのか、私にはわかりません。モモさん🍑に、尋ねると、モモさん🍑は「私らは生まれつき目が見えないから。何と言ったらいいやらわかりませんけど。やはりね、その場所場所で、違うんで。行くと、わかるんですよねえ」と言われました。
サクラさん🌸は、その土地にしばらく逗留しました。あん摩を頼まれるようになり、口コミで人気が出て、土地の人たちを沢山揉んだそうです。帰国しても、また来て欲しいと頼まれ、その後、度々、出かける縁ができました。
その旅が、サクラさん🌸をまた一つ大きく変えました。だって、一人で海外に行けたのですから。ずっと思い続けた男性の故郷の土を踏み、同じ空気を吸うことができたのですから。
旅から戻ったサクラさん🌸は、韓国語に加えて英語の勉強も始めました。さらに、盲導犬を申し込み、訓練を受けて、犬とともに外に出るようになりました。
ロス五輪を見に行きたい、オリンピックがどんなものか、実際にその場に行って、感じてみたい、という目標ができたのです。そうして、目標達成されたんだそうです。犬とともに。
モモさん🍑は、前向きに開かれていくサクラさん🌸を、嬉しがり、誇らしく思いながら、サクラさん🌸が調子に乗りすぎて痛い目に遭わないように、どこか用心深い眼差しで、見守り続けたのでした。