山奥にあるのかしら?と思っていました。実際に行ってみると、岡崎駅から徒歩15分程度の街中。吉村医院は、住宅地にありました。
蔦の絡まるコンクリート造りの中規模な医院。待合室は、人がぎっしり。なんとなくウキウキ、ワクワク、温かい雰囲気で、好感が持てました。ポットに野草茶二種類と三年番茶のポットが置いてあり、自由に飲めるようになっていました。(2006年当時の話です。まだコロナ前でしたからね)
吉村正先生は、医者らしくない作務衣姿。一見小汚い、モノの良さそうな、茶色のニット帽。
診察すると、「うーん」と唸りました。色々な話をしました。
体のこと、広島の医師のこと、こちらでお世話になりたいこと。広島の医師のことは「何言っとるんだ、その医者は」と口から唾を飛ばして怒り、まくしたてられました。こちらの胸の痛み、淀みにビンビン響き、染み渡るような気がしました。広島の医師の、幽霊でも見るような、青ざめてこわばった顔を思い出すと、自分がひどく惨めに思えました。やっと子宝を授かったというのに。テレビドラマみたいに、「おめでとうございます」と満面の笑みで告げられるものと思っていたのに。なんだか「ご愁傷様です」って感じだったから。
吉村先生は、ワーワーと饒舌に、まくしたてるように喋られたり。じっとこちらの言うことを聞かれたり。熱量高く、優しく。これまでに一度も出会ったことのない、特異な、別格の人。不思議な、不思議なお医者さま。
帰り際「だけど、おめでとう」と大きな声で言ってくださりました。そうして、私は吉村医院に通うことになったのです。
広島から新幹線で名古屋まで約4時間。ローカル線に乗り換えて、私の実家に泊まり、翌日、岡崎まで電車で小1時間。歩いて吉村医院に行き、検診を受け、古屋と呼ばれる、敷地内の古民家に行き、薪割りしたり、板戸を拭いたり。
古屋担当の中島さんという女性が、かまどでご飯を炊き、七輪でめざしを焼き、ひじきや切り干し大根を炊き、囲炉裏で具沢山の味噌汁を作るという具合に、昼食を整えてくださっていました。伝統的な和食の粗食で、とてもヘルシー。吉村先生が推奨する食事のスタイルです。中島さんは、ここに住んでるのかしら?と想うくらい、完全に馴染んでいて、古屋の一部のようでした。食事を整えたり、薪割りをしたり、囲炉裏に火をおこしたり。静かで朗らか。無駄のない動きで、忙しく動いても、万事、ゆっくり、ゆっくりとしか進まないのですね。なんとも言えない安らぎが醸し出され、心が落ち着きました。暮らしに手間をかけることって、深い意味があることだったんだな。便利な家電のなかった昔の暮らしって、こんな風だったのかしら。
中島さんは、新入り妊婦が来ると、さりげなく声をかけてくださりました。薪割りに興味がある方には、薪割りのやり方を教えてくださり。戸板拭きをやってみたい方には、戸板拭きを。水を汲んでくださいますか、とお手伝いを頼む言い方で、井戸水を汲むことを教えてくださったり。実質的には、全て、中島さんが責任持ってやってくださっており、妊婦のお手伝いは、真似事みたいなもの。人数が増えれば、切る野菜の量も増えるので、猫の手もかりたい状態を補完はするけど。古家労働は、吉村医院の象徴的なもので、妊婦の健康づくり、メンタルケア、産後まで見据えた子育てネットワークづくりに役立てば、という意味合いのもの。薪割りも戸板拭きも、腰や膝を痛めないやり方で行うスクワットの意味合いが強く、実際に清掃や燃料確保のための労働の意味ではありません。妊婦たちが大方帰った後の時間に、中島さんが一人で、パンパン薪割りしているところを、よく見かけました。すごく慣れてて早くて、カッコ良かった。妊婦ピクニックの時に、中島さんの作ってくださる、梅干しの入ったおにぎりも美味しかった❣️梅干しの苦手な小さなお子さんには、梅干し以外の具を入れてくださりました。低山や里山を、相当歩きました。お腹の大きな妊婦には助産師が付いて歩くのです。吉村先生もご一緒に歩いたこともありました。
妊娠経過が不安だったり、知り合いが誰もいなくて心細そうな妊婦がいると、お手伝いを頼んだりして。万事、控えめで、さりげなくて、自然。心配りの細やかな、優しい方でした。振り返ってみると、ちょうど脂の乗った良い時期だったのかな、と思います。吉村先生はまだお元気で、フルに診察に出て、生き生きと活動してらっしゃいました。
世間から注目され、毀誉褒貶激しかったと思います。ある日、私が古屋で薪割りをしていると、「あの人も妊婦なんですか?」と私を指して言う声が聞こえました。え?と思い、振り向くと、ゾロゾロ、じろじろ、見ていく人たち。愛育病院(秋篠宮妃 紀子様が出産された都内の産婦人科)の方々がチームを組んで泊まりがけで勉強に来ていました。「あんなに動いて大丈夫なんだ・・」😳「ここまでやれるんですね〜」🥰という感嘆のささやきが多く聞こえました。
吉村先生のお話の端端や、見学に来られる方々の様子から、医療者は人間の自然なお産の経過を見る経験が乏しい(ない)、とわかりました。その上で、これは危ない、あれは怖い、と妊娠や出産を管理する立場になるのは、大変だなと思います。うむむ〜。
昔の日本や途上国なら、人間も医療介入なしに、他の動物と同じように子を孕み、自力で出産する状況がある(あった)のでしょう。だけど、今の日本はそうじゃない。大方の人は病院で生まれた人たち。そして、医療関係者は、医療でお産をコントロールする術を習ってきた人たちなのですね。ちょっとよく考えれば、わかることだけど、そんなことを考えたことがなかった。
両親学級も、吉村医院のは一風変わっていました。皆で話す時間と、スライドを見て先生のお話を聞く時間の二本立て。お産の家の二階の板間。戦国武将みたいな、和蝋燭が揺らめく中、集まった人たちが車座になり、それぞれに一言づつ(と言いつつ、結構、長かったりする。思いが溢れる人が多いのですね)自己紹介コメントをして、先生がそれに対してお話をするような形なのですが、なんか、濃いっ。
私自身は、もし、自分がフツーの妊婦だったら、100%❗️吉村医院に来ることはなく、近所のフツーの産婦人科に通ったはずでした。化学薬品のアレルギーがひどくなければ、近場でフツーの総合病院に行ってたはずです。だけど、どちらも選択できずに、ここにいる。
両親学級では、自然出産を強く望んでここに来たタイプの妊婦さんが結構多くて、熱量が高く、圧倒されました。もっと正直に言うと、ちょっと怖かった😶🤭😓😅
一人目のお産を後悔して、二人目以降を吉村医院で、というお話をよく聞きました。生まれた子がひどいアレルギーで、妊娠管理や出産のやり方に疑問を感じた、とか。母子の愛着関係に深く悩み、吉村医院のやり方に魅かれた、とか。倫理が問われる領域の産科医療に踏み込むことで有名な、諏訪のクリニックの関係者が、ご自身の問題意識からでしょうか、ご参加されたこともありました。なるほど。へえ〜。と、目から鱗の落ちる思い。
産みたい気持ち、授かりたい気持ち、より良く生み育てたい気持ち。皆さま、強い気持ちが渦巻いて、凄かった。気持ちは同じ。やり方は多様。
大方の医療者たちは、自然なお産の経過がわからないまま、医療介入でお産をコントロールすることに慣れて、お産の本質をめちゃめちゃにしてる、産後の子育てを困難にすらする、というのが吉村先生の主張。そこには、核心を突いてる手応えがはっきりと感じられ、確かに、胸に響くものがありました。
だけど、やはり、お産で命を落としたり、赤ちゃんが障害を背負って生まれてくるリスクを、医療の力で回避できるのは、ありがたい‼️です、私。だって私、江戸時代じゃなくて、今、生きてるんですもの。進んだ医療の恩恵を享受したい。
そこまで否定する勢いの、吉村先生の言い方に驚きながら、そんなにまで言わなきゃやってられない状況なんだろうな〜というのも、わかる気がするのです。うむむ〜。
皆が触れたくない(障ると祟りがある)本質に、敢えて、手を突っ込んでるんだろうなーと思いました。
一般的には帝王切開は簡単な手術で、リスク回避できる上に、病院経営的にもプラスになるため、件数が増える傾向が顕著。安易にそちらに流れていいのか⁉️警鐘を鳴らすことは、大変な圧力がかかるはず。
だけど、、
「帝王切開で生まれた汚い赤ちゃん」とか😱「女性は妊娠したいと思ったら、仕事は止めるき」とか🥶今どき、こんな発言許される⁉️ハラハラ😨😓NGワードが連発❗️乱発‼️
吉村医院に通う妊婦さんの中には、お子さんを帝王切開で産んだ方も多いし、キャリアウーマンも多いのですが、先生の発言を女性蔑視とは受け取らない。悠然と微笑んで、ふわりと呑み下すような、独特の間合いがありました。女って『呑む力』がすごいから❣️💪吉村先生の言葉だけ聞くと女性蔑視&問題大あり発言の山ですが、どんな根っこから発せられた発言なのか、の方が大事❣️と、皆さま、了解していたのでしょう。
ずいぶんと難易度高いことが成立しているんだな、と思いました。言い方悪いけど、フツーの医師なら、とっくに潰れてる。嫌われて閑古鳥です。吉村先生は、フツーの医師じゃないから、並の器じゃないから、『まこと』があるから、なんだかんだ、しっかり伝わってるのだわ。人って捨てたもんじゃない。凄いもんだな、と。
前回、自然出産できず、帝王切開で産んだ方が、再び妊婦になって吉村先生の前に現れると、吉村先生としては、なんか、後ろめたい?気まずい?懲りずにまた来ちゃったのかい?恨んでない?みたいな感じが漂うのですが、妊婦の方が二枚上手だったりするんですね。しっかりと『呑んで』る。笑 やっぱり吉村医院がいい❣️と思われてるのですね。で、吉村先生、基本、お優しいのです。呑まれて、負けて、折れて、まあ、いいわ、みたいな。笑 目に見えない、そんなやり取りが垣間見えた方もいました。
吉村先生の検診で、深く印象に残っている場面がいくつかあります。エコーの画像を見ながら、先生が「ひい、ふう、みい・・」と勘定をして、ニコーッと満面、笑顔になり、「よかった❣️指が5本あります‼️」と大きな声で言われました。ハッとしました。つまり、私の場合は、赤ちゃんの指が3本だったり、6本だったりするかもしれない、健常に生まれてはこないかもしれないことを覚悟しておくのですよ、と、やんわり言われたと思うんです。それでも、やはり赤ちゃんの誕生は嬉しいこと。しっかり育てていきましょう。と寄り添ってくださる感じがあって、背筋が伸びる思いとともに、本当に、有難いな、と。本質的なところで、無責任じゃなくて、深く見据えてくださる眼差しの温かさに救われるのですね。臭いものに蓋、じゃなくて。
この頃の私は、どんな医者であれ、診察の時に言われたことは全てメモをとり、あとで自分で調べて、考えて、質問して、という風にガチンコでやっていたのですが、吉村先生の診察では次第にメモを取るのはやめました。どうせ、他に行くところもない身で、ここでお世話になる以外にないし、しっかりした搬送先があるのもわかってる。もう、両目開いて、真偽や詳細を調べて確かめて、自分の頭で考えて・・とやらなくてもいい、と思いました。フッと肩の力が抜けて、この流れに身を任せるよー❣️と腹が据わりました。吉村先生の懐で、薪割りしたり、スクワットしながら、流されていこう、と。