子どもがジャスト1歳からジャスト3歳の丸2年間、東京都民でした。23区内。
この期間の平日、子どもが目を開けてる時間に夫が帰宅できたのは、1日だけ。花粉症が酷すぎて、早退した日。夫は帰宅するなりシャワーを浴びて、布団にもぐりこみ。時折起きては鼻をかんでいたのでした。笑
ある日、子どもがテレビに映った男の人を指差して「パパ❣️」と嬉しそうに言ったので、『顔を見る時が少ないから、パパの顔を忘れたんだわ』と気づいて、私のパソコンにパパの顔写真を貼ったくらい。
激務の夫は、秋葉原駅のホームで毎夜ガチャガチャを回して、ミニプラレールをお土産に丑三つ時に帰宅。子どもが朝起きると、パパはすでに出勤した後で姿はないけど、ガチャガチャが2、3個置かれていて、ワクワクしながら開けてみる、という風。時には、パパがきれいに組み上げたミニプラレールが完成していて、歓声を上げることも。パパは謎のサンタクロース的存在。姿はないけど、どこかでボクを守ってくれてる、という感じ。
転勤族だから、まわりに知り合いはいない。
子どもと二人で家に居ても、なかなかキツい。お出かけしたい。人と話したい。出会いたい。子どもにたくさん外遊びさせてあげたい。多様な他者と関わらせたい。色んな経験をさせてあげたい。いいモノたくさん見せてあげたい。たくさん公共機関に乗せてあげたい。
2008年の私。新米ママの時。
今はどうだか知りませんが、当時の都内、外遊びをたくさんさせてあげたいと思っても、なかなか難しかったです。
整備された公園はあちこちあるけど、子どもと二人で行ってみても、誰も遊んでない。砂場は清潔で、猫がウンチしたり、落ち葉で汚れないように、シートで覆われている。広島に住んでいた時、近所の公園の砂場は猫のウンチがいっぱいで、子どもを遊ばせる前に、お母さん達が協力して、ウンチを掘り出して捨てていました。汚い砂場なのだけど、これが子ども達には大人気でした。お母さん達が血眼になってウンチを掘り出すっていうのも、子ども達には刺激的だったかもしれないなあ。お母さん達もスコップで砂場掘りまくるから、遊んでるように見えたかなあ。お母さん達がウンチ掘り出した後の砂場で、子ども達も掘ったり丸めたりお山作ったり、夢中になって遊んでました。シートで覆われて猫も寄り付かない都内の砂場は、不思議と子ども達も寄り付かず、さらさらと清潔でつまらなかった。(都内の砂場と言っても色々。人気の砂場ももちろんありました。私の近所の行ける範囲にあった砂場がそういう状況だった、ということです)
あちこち行って、探した結果、たどり着いたのは、代々木公園でした。代々木公園で活動していた自然育児サークルの赤ちゃんグループに入れていただいて、週に数回、朝から着替えと替え靴とお弁当とおやつを持って、ランチの後は木陰でお昼寝 して、夕方まで、めちゃめちゃ遊ばせました。
本気の外遊びを求める人たちのたどり着く先は、プレイパーク、森のようちえん、自主保育、、という界隈だったのです。
ただ、まあ、これもまた、中に入ると色々あって、『楽園』ではない❗️のですが。
近くのインドア施設内に、真っ白でサラサラなお砂場があり、そこで子どもと泥だんごを作ろうと、水道水を入れてこねていたら、係の方が飛んできた。「水を入れないと泥だんごが作れません」と反論したら、「そーいうことをやりたいなら、代々木公園に行ってください」と。だから、ここに来ました、という方もいました。
とにかく『外遊び』をたくさん❣️多様な経験、異年齢の交流、という意味では、ここだ‼️という場でした。
都バスの車内で、ゴーゴー大いびきをかいて爆睡する小さな男の子の姿に、「見た目は小さくて可愛いけど、オヤジと同じだねえ」と笑いかける人がいたり。
カバンから飴を取り出して、ママに内緒だよ、と。私の目を盗んで、あるいは、私を威圧しながら、子どもにくださる方が時々。笑 ご自分の好きな甘いものを、小さい子どもにあげたい気持ちが先行してる方が多かったな。イマドキの若いママは皆、甘いモノに目クジラ立てるけど、何さ😤💢っていう気迫が感じられました。都内だからかしら。
私はいつも、薄手の古いハンカチを数枚カバンに入れていて。公共機関に乗って座席に座ると(座れたら)すぐに、ハンカチで子どもの靴を包んでいました。シートや隣の方の服を汚さないように。乗り換えの都度、靴を脱ぎ履きさせるのは大変だから。
「それ、いいわね」と言われることが多かったです。
座ると寝ちゃうことが多かったので、ついうっかり乗り過ごして引き返したり、山手線を一周することもありました。
昼下がりの山手線。あー、また、やっちゃった💦まあ、いいわ。一周しよう❣️
あきらめて、出汁昆布とか煮干しとか梅干しとかするめとか。ぼろぼろこぼれなくて、ヘルシーなおやつをカバンから取り出して子どもに与えていると、
「まあ、懐かしい。おやつにあげるのねえ」と話しかけてこられる方がよくいました。
「今は大変でしょうけど、後になると、一番いい時だから」
「抱っこできるのは今のうちだけ。たくさん抱っこしてあげて」
広島に住んでいた時は、道でおば様グループに「まあ、可愛い❤️抱かせて」と言われることは、珍しくなかったけど、都内で「抱かせて」はなかった。ちょうど、抱かせて、と言われて赤ちゃんを差し出したら、いきなり赤ちゃんの足をへし折られた、という恐ろしい事件が都内で起きた時期でした。
時々、子育ての本音の濃いところを話してくださる方がいました。
例えば、こんな感じ。
「私には息子が二人と娘がひとりいるの。皆、いい子。それぞれに進学して、就職して。娘はまだだけど、息子達は結婚して、孫もいる。人からは、お幸せ、と言われてる。私自身、よくやってきたと思ってる。一生懸命に、子育てしてきたつもり」
私は、眠りが深くなって、重たくなった子を抱き直しながら、話を聞きました。離さずしっかり抱いた方が、重たくても気持ちがいい。
「子どもたちは皆、なんだか、冷たいのよ。私を避けるっていうか。。母の日にはプレゼントはくれるし、クリスマスかお年賀も。だけど」
熟睡した子どもの身体は、内からぽっぽと燃えるように、温かい。
「宅配で送ってくるのよね」
ああ、そうなんだ。
贈り物は届くけど、贈り主は来ないのね。うむむ〜。
「仕事が忙しいのはわかるし、気をつかってくれてるのもわかるけど」
うちの子は髪が細くて薄い生え方だから、熟睡すると、頭が汗ばんで、髪がはりつく。
「お嫁さんの実家には、たまに行ってるのよね。お正月も」
ああ、その要素も加わるのか。キツいな、それ。
「来てくれたら、一緒に食事したいのに」
そりゃ、そうだわ。
「息子たちも娘も、そんな感じなの」
形式的、儀礼的。正味で向き合うことは避けて。核心を突かれないように、尻尾を出さないように。うまくやろうとする意図が透けて見える。
たしかに、なんだか、心無いな。さみしいよ💧🍂
それが、お嫁さんの差し金じゃない、ということまで、ちゃんと、わかっていらっしゃるんだ。
キツいな〜😓😣
「良い学校に行けるようにと、厳しく躾たわ。それは成功したと思うの。良かれと思って、そうしたのだけど。それがいけなかったのかしら。私、厳しすぎたのかしら」
もの堅く、思慮深い、おばさま。上質なものを控えめに着こなしていらっしゃる。派手すぎず、地味過ぎでもなく、ほんのりオシャレな。どこにも強い印象の残らないことが印象的な、賢夫人。
きっと、ふだんは誰にも話さないことを、今、お話されているのだろうな、と思いました。
山手線で、乗り合わせた、名も知らぬ若い母親にだから、話せる本音もあるのでしょう。
難しい玉を投げられて、どう返したらよいのか。頭の中で、ぐるぐる考えました。壁打ちの壁みたいに押し黙っていることは、私にはできません。私は壁じゃないから。村上春樹的に言えば、井戸掘りみたいな、地下三階みたいな、深間のお話です。地上に引き上げるように、少し水を向けたら、スッと浮上してこられました。
まあ、仕事も忙しいし、気はつかってくれているし。子どもたち、大人になったのね、と。
そうして、下車して行かれました。
ソフトランディングできて良かった、とホッとしながら、居心地悪い感じが残りました。
あの方が、私にお話されたように、ご自身の苦しさ淋しさを、お子さまにお話することができたら、それは、お子さま方にとっても、良いことのように思うのです。
あの頃、同じようなことが、3回もありました。3人の女性が、同様の胸苦しい思いを、幼な子を抱いて、居眠りから目覚めたばかりの、寝ぼけた私に、ゆったりとお話されて、山手線を降りていかれました。