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亀崎散歩〜春

こんにちは。かめーご 代表 吉田です。

亀崎は坂が多く、細い道が入り組んでいます。「せこ」「せこ道」と呼ばれる路地があちこちにあり、独特な風情に加えて、そもそも、私有地だか、公道だかわからないので、よそから来た方は戸惑いが大きいと思います。共同井戸があちこちにあります。昔は、ここで本物の「井戸端会議」が行われたのでしょうね。井戸は今は大方使われていません。近年、地道な町おこしの動きの中から、こんなにきれいな蓋をして、ベンチを置いて、新たな「井戸端会議」スペースとして生まれ変わりました。

坂が多くて、海が見えて。上から二枚目の写真は、中切組の山車を入れるサヤと呼ばれる車庫です。こんな山の中にあるのは、町中に置いて火災に遭うことを避けたい意図なのかな、と思います。亀崎は家に小さなお社がくっついたお家がよくあります。中には、お地蔵さん。家の「鬼門」と言う方位にお地蔵さんを置くことで、悪いものが家に入るのを防ぎます。鬼門地蔵、といいます。私は転勤族の妻で、日本全国あちこちに住んできましたが、こんなにお地蔵さんが多い地区は見たことがありません。どうして、亀崎には鬼門地蔵がくっついた家が多いのかしら。昔、流行ったのかしら。

夏に、石川正喜さんに色々教えていただきながら、歩きました。坂の看板は石川さん達ルート21の方々の手作り看板。こちらの共同井戸は現役。お地蔵さんのお社もあります。石臼をひっくり返したものが腰掛けみたいに置いてあったり、小さな公園に置いてあるのは、遊具にしては変わってる、と思ったら、昔の火の見櫓の先端部分でした。防火用水の石塔には「六百六十石」と書かれています。石(こく)は体積の単位の古い表現。1石=10斗(と)=100升(しょう)=1000合(ごう)

亀崎小学校の正門から坂を降りたところにある魚屋さん。屋根瓦に古い字で『学』の字が。これは、昔の亀崎小学校の用務員さんがいた建物だそうです。

変わった門。昔、お風呂屋さんだったそうです。言われてみれば、なるほど、と思いますよね。歴史民族博物館にあるような、古い自転車と洗濯機が無造作に置かれていました。衣浦温泉本館、という看板がお家に貼り付けてある。古くなって錆びてますが、そのまま残っています。この家が温泉だったわけじゃありません。笑 衣浦大橋を渡った先に昔あったんだそうです、衣浦温泉。その温泉の宣伝看板です。空き家が、朽ちてしまっています。昔の日本家屋の建て方がわかりますね。柱を建てて、竹で壁を建てて、赤土(あかど)を塗って。赤土は、再利用できるんだそうです。

今から5、60年前くらいに学齢期だった亀崎の人たち・・私の母や伯母もそうなんですが、岡戸先生という優秀な女性に英語を習った人が多くいます。岡戸先生は、子どもの頃から大変学業優秀でした。1ドル360円の時代に、亀崎の篤志家が「これからの時代は、女子でも優秀な人はしっかりと教育を受けるべき」とお金を出してくださり、大学に進学、海外に留学されました。戦後、マッカーサー元帥の通訳もされたそうです。大学で教鞭をとり、退官後、郷里の亀崎に戻り、英語塾を開かれました。母の話では、岡戸先生の塾は、生徒が先生宅に行くと、玄関先で正座して、両手をついてご挨拶するところから始まったそうです。「Good evening,Ms.OKado」「How are you?」「I am fine ,Thank you」というような挨拶の後、授業が始まります。途中、良い香りの紅茶を淹れてくださり、きれいな陶器の茶器で出してくださるのがお決まりだったそうです。エレガントですよね。岡戸先生は留学した折にパリで天才ピアニスト安川加寿子さんのご両親と交友されました。生徒達を連れて、安川加寿子のリサイタルに行ったこともあったそうです。

安川加寿子のピアノは、とても素敵です。私は、小さい頃、うちにあるレコードの中で一番好きでした。

亀崎は海運の要所として、昔栄えた町なので、意外な歴史ネタが多く眠っています。私自身は、もともと何も知らなくて、母や祖母から断片的に聞いたことくらいですが、町には歴史に詳しい方がたくさんいらっしゃるので、そういう方々から教わったこと、伝え聞いたことが色々あります。お話を聞いて、街を見て歩くと、まるで、手付かずの古い蔵に入ったような気がします。

おいおい、ご紹介したいと思っています。

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