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囲碁を嗜む淑女。M・Mさんのこと

Mさんは、知的で、品位ある淑女でした。囲碁は四段。50歳を過ぎて、囲碁好きなご主人の勧めで始められ、深められました。

「こんな面白いもの、ないわよ。吉田さん」

時々、息子と打ってくださったり、私にも教えてくださいましたが、当時の私は、しっかり囲碁に取り組むところまでいきませんでした。

「男の子は成長したら母親には近寄りもしなくなるでしょう?だけどね、会話がなくなった時にでも、囲碁は打ってくれるのですって。そうやって、時々息子さんと打つ方がいてね。とってもいい感じ!囲碁は、言葉がなくても遊べるの」

Mさんにお会いするのはいつも楽しみでした。品格、知性、ユーモア、思いやり、抑えめなお洒落。場を明るくする配慮も、こなれていて、空気のように自然なので、カラクリがわからない人の方が多いくらい。あんな素敵な人になれるなら、私も囲碁をやりたい!と思いました。

「毎晩主人と囲碁を打っているのよ、1年1000局を目標にしているの」

ご主人は五段の高段者。とっても仲良しのご夫婦。

「悔しいわ、いつか勝ちたいの」と闘志を燃やしていらっしゃいました。

息子に、実物を忠実に再現しながら、デザインのよい、乗り物シールをくださったり。

ポーランド駐在のお友だちを訪ねて、旅行してきたと言って、地元の素朴なお菓子とともに、アウシュヴィッツの話を聞かせてくださったり。

福島のご出身でした。311後は、特に故郷への思いが深く、様々な話を聞かせてくださいました。

個人的なことも。。

「私には子どもがいないの。授かりたくて、東京のお医者様にまで診ていただいたけど、ダメだった。 主人に悪いとも思ったし、私自身とても残念だった。だけど、いつまでも、しょんぼりなんて、してなかったわよ。胸張って、生きてきたわ」と明るくきっぱり言われたことが印象的でした。「勇気」の塊を見たような気がして。

私は長く子宝に恵まれず、諦めかけた頃に、奇跡のように、授かりました。子どものいない、転勤族の妻だった7年間。移り住んだ土地土地で、子どものいない女性達との淡い親交がありました。世の中には、なんの苦もなく子宝に恵まれる人も多いですが、切望して授からない人も多いです。また、大切な我が子を亡くされた方も、意外に多いです。取り返しのつかない痛みを胸に抱えた人は、そのことを口にしません。黙ってる。私は高頻度の転勤族だから、気安さもあったのでしょう。そっと心を打ち明ける人が時々いました。

優しくて、慎み深くて、趣味が豊かで。子どものいない女性達との交友は、知的で繊細な楽しみが多く、好きでした。だけど、私の、まさかの妊娠を機に、彼女達との交友は途絶え、それきりになりました。注意深く、自分が辛くなりそうな人や場を避ける人が多かったのです。

Mさんは原因不明の体調不良で、少しづつ声を失われ、最後はほとんど筆談でした。私が、息子の囲碁が強くなったと話したら、「それは良かった。で、あなたは?」と、間髪入れず、聞かれました。自分を疎かにしてはならない、と気づかせてくださるのでした。あなた自身も大切な存在、と示す、優しい気遣いとともに。

久しぶりにお会いしたら、小さく手招きして私の耳元に口を寄せて、おっしゃいました。

「私、もうじき死ぬの」

「いやだわ、縁起でもない」私が明るく打ち消そうとすると、Mさんは.ゆっくりと首を横に振られ、ジッと私を見据えられたので、社交辞令は辞めることにしました。私は、なぜか、そういうカンが良いのです。そして、私が『わかっている』ことを、Mさんはわかっていたけど、気付かないフリしてらっしゃったわけです。私が、Mさんをまっすぐ見返すと、Mさんは、小さく一つうなづいて、話し出されました。色々なこと。

「私、もう長いことない。あなた、必ず囲碁をやってね」とかすれた声を絞っておっしゃったのが、最後になりました。

M・Mさんは、静かに石を置いて、ズズーっと碁盤を滑らせて静かに止まり、そっと指を離す。そういう打ち方でした。

Mさんのイメージ、渋め抑え目の紫色。

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