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囲碁の風景5〜愛知県半田市にあった碁会所のお茶と換気とお手洗い『お茶』

その碁会所は、駅から徒歩で15分位の、古い商店街にありました。駐車場は、30台から40台ほど駐車が可能でしたが、いつもぎゅーぎゅー満車か、ほとんど満車。よく席主や常連の方が、詰めて駐車できるように、誘導してました。2010年代、あんなに流行っている碁会所は珍しかったです。

ガラリの扉を開けると『昭和』にタイムスリップしたような、レトロ空間が広がります。

積年のタバコの煙が染み付いた壁は黄ばんでる。古い小さな冷蔵庫も黄ばんでる。天井も黄ばんでる。

黄ばんだ世界に、ネズミ色のおじいさん達がぎゅーぎゅー集まって、囲碁を打ってるのです。静かな熱気が立ちこめていました。

古い看板には『初心者歓迎』と書いてあるけど、子どもの受け入れには極めて消極的。

囲碁に関して一切妥協がないので、子ども自身が本当に囲碁が好きで、やる気がなければ、結局、続かない。受け入れていた時もあったようですが、色々あり、消極的になったようでした。うちがお世話になった5年間、子どもは、うちの子と、兄妹がひと組、計3人のみ。このお兄ちゃんは、大人顔負けの立派な碁を打ちました。時々、お孫さんを仕込んでほしいと連れて来られる方(席主に何らかツテのある方)がありましたが、どの子も続かなかった。

私は囲碁はできません。ツテもご縁もありません。全くの飛び込みで行って、最初はビシャと断られました。この子はちょろちょろ落ち着きがない、まだ小さいから、あと数年経った時、この子自身が本当に囲碁をやりたいなら教えます、本当にこの子自身が囲碁をやりたいならね、とえらい剣幕でクギを刺されて、追い払われたのでした。

なんて怖い所だろう。

驚きましたが、嫌な気持ちはしませんでした。真剣、正直、誠実。筋が通っている。本物だわ、一流の場だわ。こういう場に入れていただくには、こちらにも相応のものが要るのでしょう。こんな厳しいことはやりたくない、と子ども自身があきらめるなら、それはそれでいいし。やるならしっかり、やめるならキッパリ。上等なことをやるのに、中途半端なカッコつけでは為にならない。

詰碁、棋譜並べは毎日、小さな棋譜は3冊丸覚え。対局は私が囲碁打てないから真似事程度。おうちでやれることは全部。精一杯やりながら、子ども囲碁教室に通いました。石の上にも3年と言います。ところが、うちの場合は、3年やっても石は冷たいままでした。波打ち際に取り残された格好になっても、碁石を離さないわが子に困り果てていたのでした。

小さな子どもと囲碁の打てない母親が、3年間、試行錯誤の努力を積んで、成果はないけど、この子は絶対に辞めたくないと言う。だから、少なくとも、再度、門を叩く資格はあるはず。地蔵盆の夕方、子どもと二人でお地蔵さまをお参りして、地蔵を抱いたら持ち上がった。その勢いのまま、終わりがけの碁会所に伺いました。

「いいですよ。教えましょう。この子が囲碁をやりたいなら」

席主は、今回は断らず、受け入れてくださりました。良かった。だけど、「この子がやりたいなら」と言う言い方には、厳しさが滲んでいます。

子どもがチョロチョロご迷惑をかけたら、叩き出されるんじゃないかしら。不安でいっぱい。最初の頃、私は、子どもを車で送っていき、自分は囲碁はやらず(できないし)、ただ、見守っていました。そのうちに、子ども一人で、自転車で通うようになりました。


この碁会所は、席主の先生が、お茶を淹れて出してくださいました。私は、最初に、やんわりキッパリ、お断りしました。

マイボトルを持ち歩いているから、というのは表向きの理由で、本音は、まずいお茶を出されたら嫌だから。しょっちゅう来ることになるなら、なおのこと、最初にバッサリお断りして、『この人はそういう人』と認識していただく方が、気が楽だと思ったのでした。

料理屋でもない、ふつーのおじいさんの淹れるお茶が美味しかったことなんて、これまで生きてきた中で、二人しかいない。おじいさんの淹れるお茶は、ふつうは、まずい。しかも、席主自ら淹れてくださるお茶を、私が飲み残したら失礼なんじゃないかしら。やだなぁ、まずいお茶を毎回辛抱して飲み干すなんて。

つまり、私はリスク回避しようとしたのです。先回りして、穏やかに。

そのまま流れていく、と思ってました。なにせ、碁会所は毎日満席で、席主はとても忙しい。1人減って好都合と思っていただけたら幸い。

ところが、予想に反した事態になりました。

席主は、私が日本茶嫌いと思われたのか、コーヒーか紅茶にする?とわざわざ聞いてこられたのです。思ってもみない気遣いに、びっくり❗️だって、最初はピシャリと断られ、追い返された身ですもの。こんな情の深い優しさ、考えもしません。

もじもじしていると、席主はコーヒーのドリップパックと紅茶のティーパックを奥の小部屋から持ってきて、どれがいい?と。にこやかに、優しく。

ぎくり。紅茶のティーパックたち、よりによって、私の嫌いなブランドの苦手な銘柄がズラリ。でも、これ以上ご面倒をおかけしたくなくて、ティーパックを指差しました。仕方ないわ、我慢する、と覚悟して。

すると、席主は、一瞬、深い目で私を見て、「遠慮しなくていいんだよ」と。

察しのよい方だな。

私は、もじもじしながら、「では、コーヒーをお願いします」と頭を下げました。


そんなやりとりが数回。

席主は、私が特にコーヒー紅茶を好んでいる風でもない、と感じ取られました。私の方は、私が安心して居心地よくこの場に居られるように席主は心配りしてくださるんだな、と感じ取りました。

簡単には受け入れてくださらないけど、いったん受け入れたら、根っこからしっかり受け入れてくださるんだな。おざなりじゃなく。

私が、お茶を飲んでみようかな、と思ったのと、席主が「お茶飲んでみる?」と言ってくださったのと、ほとんど同時。「じゃあ、少し」と私が言うと、渋い桃色の小さな湯呑みに淹れてくださいました。こんな湯呑み、あったんだ、と思いながら、一口飲んで、びっくり‼️おいしいわ❣️

特別高い茶葉ではない中で、味の良い茶葉を選んで、上手に淹れてる。古いポットにやかんで沸かした熱湯を入れて、古い小さなアルミの急須で、ちゃっちゃっと適当な感じで淹れてるけど、しっかり美味しい。

すごいな、席主。

かくして、席主は、私の人生3人目の、おいしいお茶を淹れるおじいさんとなったのです。

そして、その日以降、私が行くと席主は、何も言わず、黙って、渋い淡い桃色の小さな湯呑みで熱いお茶を出してくださるのでした。静かに、自動的に。

席主は、碁会所に来る方全員の好みや特性を把握して、お一人お一人が安心して囲碁を楽しめるように、集中できるように、居心地よく整える配慮をし、工夫をされていました。

Aさんはこの湯呑みで熱くて濃いお茶、Bさんはこの湯呑みでややぬるめで薄めのお茶、Cさんはこの湯呑みでお茶は濃いめで灰皿が必要、Dさんはこの湯呑みでお茶は普通で飴を2つ付ける、Eさんにはこの湯呑みでお茶は少なめ飴を3つ途中で渡す、Fさんはカルピス大好きでペットボトルを持ち込みされて途中で一本くださいと注文されるから切らさないように常備する、などなど。

さて、まだ幼かった子どもくんは、というと。。

最初のうち、水筒を持たせていました。子どもですからね。ジュースを欲しがるようになりました。囲碁を打つと甘いものが欲しくなります。席主の淹れてくれる苦みのあるお茶も、次第に飲めるようになりました。そこで、お茶はやめて、子どもの好きなココアを小さな水筒に詰めて持たせました。すると、驚いたことに、子どもが持ち帰った水筒が、きれいに水でゆすいでありました。

ココアを飲み干した水筒を長時間放置して、こびりつくと厄介だから、という気遣いです。

席主、こんなところまで気がまわるなんて、ほんとにすごいな。ただものじゃないわ。

すっかり碁会所に慣れた夏。子どもの身体に湿疹がパーっと出ました。ジュースなどくださるのを飲み過ぎていたのです。うちは皆アレルギー体質。子どももアレルギー体質なので、食べ物飲み物は常日頃気をつけています。市販の清涼飲料水は与えません。だからこそ、子どもには憧れの味。

席主に事情を話して、子どもにジュースをあげないでほしいと伝えました。

だけど、うちの子はジュースを飲みたいし、席主はうちの子が喜ぶものをあげたいのですよね。

しばらく経って、子どもの湿疹が治った頃、席主からあらたまってお話がありました。

「これ、見てくれる?」

差し出されたのは小ぶりな缶ジュース。サンガリアじゃん。

「ほら、ここ。見て。健康にいいって書いてある」

「‥はい」

「これなら、あげてもいいかな?」

こんな、まっすぐな目で尋ねられたら、ダメとは言えないわ。はい、と頷いちゃった。

ほんとは、当時の私の基準は、日頃はお茶か水がメイン、時々はジュースも可。ただし、一般的に市販されている清涼飲料水はNG🙅‍♀️で、質の良いオーガニック系のメーカーのものか信頼できる手作りジュースならOK🙆‍♀️という風。サンガリアはNG🙅‍♀️だったのだけど。まっすぐに聞いてくださるお気持ちが、とてもありがたくて。

 

この記事を書いた人
かめーご

おしゃべりしたい❣️小さな愛を隠し持ちながら。全力で喋り抜きたい❣️

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