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介護記 第一章vol.3医師意見書、介護認定への道のり②そして介護タクシー(ストレッチャー付き)に乗せて父を病院へ連れて行った

翌朝、ストレッチャー付き介護タクシーが我が家にやって来た。見るの初めて。

親切で手際が良い
救急車みたいだけど、救急車じゃない。アットホームな感覚❤️
親切、丁寧

人気がない朝早い病院。薄暗いというか、ほの明るいというか。静かだわ。介護タクシーの方が一緒に病院の中に入ってくださった。病院のストレッチャーに父を移すことができるか否かが、とても大事なポイントなのだという。病院のストレッチャーの台数には限りがある。素早く見つけて交渉しなくてはならない。一生懸命にキョロキョロ👀辺りの様子を伺いながら、付き添ってくださった。

つまり、病院のストレッチャーは病院の備品なので病院のストレッチャーに父を移せたらストレッチャーは病院の方が押して運んでくださる。介護タクシーのストレッチャーは病院の備品じゃないので、自分たちで押して運ばなくてはならないルールなのだ。
「病院の中を、ストレッチャー押して、あっち〜こっち〜と動くのは大変ですからね。病院のストレッチャーを使わせていただけたら、病院の方にやっていただけるので、とても楽なんですよ!」

なるほど❣️🙏

私たちはストレッチャーの扱いに慣れていないし、父の急変以来、日常生活がぶっ壊れた状態でくたびれている。人の混み合う病院内を、足の悪い母を連れて、ストレッチャーにのせた父をあっちこっちと運びまわるのは大変だ💦

介護タクシーの方は蝶のようにヒラヒラとあちらこちら聞いて回り、うまいことストレッチャーを借りてくださり、父を病院のストレッチャーに移し「では、終わり時間が分かったらご連絡くださいね」と優しく言って、帰っていかれた。


ここからが大変だった。タライ回しの始まり始まり〜だったのだ🌀💦🌀💦

①整形外科
頚椎の変形がある→長い歳月かかって変形しているもの
背中に圧迫骨折がある→比較的新しいが昨日今日ではない

整形外科で見つかった異常はその2つ。
「この程度でこんなにも具合悪くなるとは思えない」と整形外科医🧑🏻‍⚕️

さあ、困った💦💦💦

実は、私、父は癌かも、と思っている。母に話したら母も同じ考えだった。
うちはバリバリの癌家系。近親者のほとんどが癌に罹患して亡くなっている。大方は高齢者になった後の癌だから、まあ、老化と背中合わせな癌だが。
父は近年じわじわと、急激に、物凄く痩せた。ズボン👖がブカブカゆるゆるになり、ウエストを詰めたが、ここ半年〜1年くらい、さらに激痩せ。これ以上詰めるのも無理なので、何本かズボンを買った。
おいしいおいしいと喜んでよく食べるが、凄い勢いで痩せた。
父の場合、視覚障害と認知の低下があるので、入院の場合には付き添いしないと、認知機能が著しく低下した場合、家庭生活の場に戻ってくることが難しい。私と母が一番心配しているのは、そこ。コロナ禍バージョンの今の病院で、家族の付き添いは基本的に不可。
病気を調べるための検査入院&治療自体に暮らしを脅かすリスクがある。
痛みや苦痛があったり、美味しく食べられないならば、考え方も違ってくるが。
今の父の場合、積極的に治療を受けることは、メリットよりデメリットの方が大きいのだ。
29歳で死を宣告されたのに、なんたかんだ、現在83歳だし。これって上出来👏🏻なんじゃない?父がずっと服用してきたてんかん発作予防の薬は副作用が強い。製造停止になったものもあった。父の内臓、痛んでいたって不思議はないわ。土台、経年劣化してるんだし。
人は誰でもいつか死ぬのだ。歳を重ねてあちこちガタがくるのは当たり前。毎日美味しくご飯を食べれて、ぼちぼち、まぁまぁ元気に暮らせたら上等🎊次第に弱くなるのも自然なことでしょ?デクレッシェンド、ソフトランディング🛬

私と母はそう思っている。だから、このまま、何もしないという選択❣️敢えて❣️

「父は癌かもしれないと思っています。急激に痩せたので。でも、全く痛みがない。ご飯もおいしく食べられます、治療に耐えられるとは思いません。調べたりせずに、このままがいいと考えています」

「はい」🧑🏻‍⚕️
「介護保険の申請をしたいです。今のままでは暮らせません。お風呂も入れられないし、トイレも💩困ります」
「そうですよね」🧑🏻‍⚕️💦

この医師に意見書を書いていただくことができるといいな、と思ったが、無理そうだ。困ったなー💦😓😥

「もう一度、脳神経内科に行って診てもらってください」🧑🏻‍⚕️

えー⁉️💦と思っても、えー⁉️💦とは言えない。はい🫡と言うしかない💦😓

私は「はい」と答えて、脳神経内科へ行く向かった。ストレッチャーの父👨と膝の悪い母を引き連れて。

頭の中で🧐状況を整理🧹整理🧹🧼🫧🤔

2月2日(金)救急搬送後、一番最初に脳神経内科で調べたが、どこも悪い所が見つからず①
→整形外科で頚椎の異常と背中の圧迫骨折が見つかり②
入院してさらに調べるか一度帰宅して週明け再来院するかの2択✌️で帰宅&再来院をチョイス。しかし帰宅後父👨は劇的に具合悪くなり、
本日2月5日(月)ストレッチャーで再来院(整形外科)③
②で見つかった以上の異常は整形外科的には見つからず。この程度でこんなに具合悪くなるはずがない、との所見(これでは意見書は書けない、との含み)
→再び脳神経内科④💦🌀💦🌀
脳神経内科は最初の救急搬送時にしっかり調べて、異常なしの診断済み✅なんだよー😥🌀💦🌀💦

ヤバいわ〜😓💦
これ、完全にたらい回しだわ〜🌀💦🌀💦ぐるぐる〜🌀

どーする⁉️この状況っ😰🥶😱

少し考えました🤔

少し⏰だけどギューッと集中して🤔真剣に見渡して見通して

で、結論❣️

どーにもならん🤷‍♀️😤今はどーにもならんわ💦

行け👉と言われたら行くしかない❣️😤それがたらい回しでも、言われた通りにぐるぐる回るしかないわ🌀💦🌀💦回りながら考えるしかないのよ、こういう時は。

案の定、脳神経内科でも迷惑顔。整形外科に言われて、戻ってきましたーっ💨とストレッチャーで参上されても、既に検査して異常無しなのだから、ウチは知らんわ関係ないわ、って感じ。

人間の体は一つ☝️丸ごと一つ☝️丸々一人の人間として日々暮らしているが、総合病院は『科』に分かれて細分化。。それぞれに自分の持ち場を守る感覚が強い。守備範囲外のコトに関して、誰も手を出さない。お困りでしょう、と手を差し伸べてもらえない。

父は立つことができないし、自力で座っていることも無理。食事はお布団の上で二人羽織みたいに後ろから抱えてホールドして、なんとかかんとかひと匙づつ食べさせてる状態だし💦お風呂、入れてあげられないし💦トイレ🚽島のりの空きケースで母がオシッコ取ってて💩は何日も出てない💦私たち、物凄〜く困っているんですけどーっ‼️

言われるままに、ぐるぐる🌀ぐるぐる🌀回りながら、頭フル回転💨気力充実させて💨考えをめぐらせた。さあ、どーにかしないとっ🔥‼️打破するぞ〜🔥💨‼️👊

要するに、父には『コレ❗️』という病名がない。癌❗️とか脳梗塞❗️みたいな、確固たる病名を持たぬまま、突然衰弱しちゃったから、介護保険申請に必要な医師の意見書が書きずらいってことか。じわじわ具合が悪くなって、何度か診てもらっていたなら、経過がよくわかる。脳梗塞で急に左半身に麻痺が、、ということなら因果関係は明白だ。経過も因果関係もはっきりしない状態では、医師としては意見書の書きようがないということか。。

生活者である私たち、当事者である私たちが、非常に困難な状況に陥っていることは誰の目にも一目瞭然だと思う。私たちの考え方の筋道もしっかりしている。

医師の立場を考えてみたら、意見書を書きずらいのも、よくわかる。そりゃそうだよな、困るだろうな、と思う。

介護保険制度の枠組みの中で、私たち、微妙な狭間みたいなところにいるんだわ、と思った。

よし、わかった❣️🤔💡

このまま制度の狭間に埋もれてはならないわ❣️なんとかかんとか道を拓きましょう❣️

私は腹を決めて😤脳神経内科の医師と話すことにした。

「整形外科の先生に、もう一度脳神経内科で診てもらうように言われて来ました。介護保険申請をしたいので、意見書を書いていただきたいのです。この状態では暮らしが崩壊します」

脳神経内科の医師は、ふんふん、と頷きながら私と母の話を聞いた。ていうか、聞き流し、受け流してた。穏やかに。
介護保険申請のことは◯番窓口で聞いてくださいと言われた。意表を突くというか😳トンチンカンというか😑医師🧑🏻‍⚕️内心困りまくって、苦しまぎれだったのかしら。私は昨日市役所で介護保険申請の流れについて説明を受けて概要は知っている。医師の話がトンチンカンなのは分かっていたが、言われた以上は仕方がない😑足の悪い母とストレッチャーの父を脳神経内科の待合に残して、遠い窓口まで行き、医師に言われたままを伝えて「はあっ⁉️」😵🫥と困惑された。

あっちへ行け〜🐞👉と言われればあっちへ行き、こっちへ行け〜🐝👈と言われればこっちへ行くのだ🐝🐞🫡行くしかない😑

病院で、こういう『たらい回し』に遭うと、すっごく不安になる。とても嫌なものだ。

幾度か経験がある。

こういう時は、、

従いながら🫡主張する🙋‍♀️なびきながら🫡主張する🙋‍♀️はい🫡と頷きながら小さく主張する🙋‍♀️手短に、攻撃的にならない鋭さで、的確に。穏やかな波🌊のように。寄せては返す、小さく、繰り返す、幾度も、ほの明るさを保ちながら、礼儀正しく、淡々と、穏やかに押す👊押す🫷押す👊押す🫷

笑うと負けよ、あっぷっぷ🤪じゃなくて、ブチ切れない、投げない。そういう持久戦。がんばれ私💪

「ご覧の通りの有り様で、ウチはもう、このままでは暮らしが立ち行きません。介護保険申請をしたいので、意見書を書いていただきたいです」

何度か押し引きした後、私が切り出すと、医師は🧑🏻‍⚕️言った。

「脳神経内科では意見書を書くことはできません。整形外科で書いてもらってください」🧑🏻‍⚕️
「いや、整形外科は、、」(だからさ、頸椎の経年変形と少し前の背中の圧迫骨折程度じゃあ、こんな風には衰弱しないって言ってましたよ、エビデンス弱すぎなんでしょ整形外科的には❗️)
「脳神経内科では意見書は書けません。整形外科に書いてもらいます‼️」

え⁉️😳今なんて言いました⁉️

「でも、整形外科の先生はご納得されてませんよ。大丈夫ですか?」
(整形外科不在の場で、勝手に決めたらイカンでしょ〜)

医師はその場で整形外科に内線をかけた。「整形外科の先生は手術中だそうです」🧑🏻‍⚕️

あちゃー😣

「でも大丈夫です👌」脳神経内科医はきっぱりと言い放った。「整形外科に書かせます❗️」

書かせます❗️か。。うんもスンもないんだな。驚いたわ。病院内ヒエラルキーかしら。脳神経内科の方が整形外科より上位なのかしら。もやっとするわ。人命を預かる仕事の日常は修羅場。切った張ったで荒くなるのは分かるけど。
あの若い整形外科医は良い人だった。私の話を聞いて、わざわざ勤務外時間に診てくれた。それなのに🥹ババ引いた🃏みたいになっちゃって💦正直者がばかを見たみたいになってしまう〜💦😓イカンなー👎悪いなぁ💦ほんとに🥹🙏すみませーん🙏🙇‍♀️😓
しかし、私としては、もう、これ以上は何も言いようがないのだった😦😑😓


思いがけない幕引きだった。

そして、フェイズが変わった。


患者サポートセンター(病院内にある)の方が来てくださり、私たちの話を聞き取り始めた。

見るからに優秀で、美しい看護師さん❣️人柄が良くて容姿端麗で頭の回転が良い。

私たちは『介護』の枠組みに入れるんだろうか⁉️

そもそも、そこが心配💦介護保険、入ってないし💦

「大丈夫です❣️介護保険は介護認定を受ける前にも、サービスを使うことができます。ただ、ご負担いただく費用が、介護認定後でないとわからないのですが」
看護師さんは言った。

つまり、介護保険というのは、認定後に使用できる(🟰認定後じゃないと使えない)仕組みではなく、認定前にも必要性があれば、前倒して使える仕組みなのだ。通常は、申請→認定→適用とゆるゆる進むのだろうが、ウチみたいに、突然具合悪くなった場合にも、ちゃんと対応しているのだ。ありがたい🙏✨

ただし、負担割合(介護保険を使う時に実費支払う比率)と支給限度額(保険適用の限度額、介護度により決まる)が決まるのは、介護認定が出た後になる。

つまり、うちの場合、負担割合も支給限度額も不明なので、後からいくらの請求がくるのかわからない💦🤷‍♀️💦🤷‍♀️

そんな風だけど大丈夫ですか?と聞いてくださっているわけだ。

何がいくらかかるものやら、さっぱりわからない🤷‍♀️🤷‍♀️
何がどれだけ必要なのか、判断する力もない🤷‍♀️🤷‍♀️
どのようなオプション(選択肢)があるのかも知らない🤷‍♀️🤷‍♀️

だけど前進するしかないのよ‼️

今のままでは暮らしが崩壊するわっ💦🌋🌊⚡️という危機的状況なんだから。

多少高くついても仕方ない💸
とにかく父をお風呂に🛁入れてあげないと‼️
💩を出してあげないと‼️

切羽詰まって待ったなしなのだ。

そうして、この美しい看護師さんは、「まずケアマネさんが見つかるかどうかが、、」と引き締まった顔つきで言われた。

ケアマネさん🟰ケアマネージャー という名称は知っているが、中身は知らない。『介護保険』の仕組みの中で、一つ一つのケースの要になる存在なのかな🤔とうっすら思った。

看護師さんは、いくつか当たって何人かに断られた挙句、『空き』のあるケアマネージャーさんを見つけてくれた。

ケアマネージャーさんが決まると、芋づる式に、必要なケアの担当者が決まってくる。

『介護保険』の仕組みに入ったとたん、ガラガラ〜ッと音を立てて、自分を取り巻く空間が仕切り直されるような、大きな渦に巻き込まれるような感覚だった。

こうして『在宅介護』が始まった。

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