サイトマップ(目次)は下の方にございます❣️❣️

介護記 第一章 vol.1『いつ何があってもおかしくないのが俺たちの年ごろ』by父(83歳)

2024年2月2日、節分前日の朝。
父が左手のしびれを訴えた。歩き方も変。ちゃんと歩けない。
前の日まで、まあまあフツーに暮らしてた。認知はあやしく、視力はわずか(父は視覚障害者なので)身体はヨボヨボだけど、食事、着替え、お風呂など基本的な生活動作は自立していた。2階の寝室で母と一緒に寝起きして、私と二人でベランダに洗濯物を干して、干し上がったタオルを畳んでいた。
時節柄&お年頃から、脳梗塞か脳溢血を疑い、119救急車に電話して状況を話すと、すぐに行きます!と。母が救急車に同行。

父は半世紀前に大きな事故に遭ってる。祖父が経営していた小さな工場で、エレベーターが落ちたのだ。まだ脳外科が無かった時代。父は一夜で急変して意識不明。医師は99.999%助からないと言った。当時私は2歳、母の胎内には妹がいた。父は優秀で大事な跡取りの長男だった。大学を出て勤めていた会社を辞めて、実家に帰ってきて、あまり間がなかった。祖母は水ごり(水をかぶって祈る🙏)をして仏壇で祈った。祖母は家族の要のゴッドマザー。貧しい生まれで、小学校しか行っていない。働きづめに生きてきた人だが、非常に頭が良かった。祖父とゼロから立ち上げ、商い一筋。友だち、いない。趣味もない。『切った張った』の真剣勝負の商いで培われた世知にたけ、一筋縄でなく、粘り強く、裏表があり、したたかだった。その祖母が、魂かけて、全身全霊の怪力で祈ったのだ。周囲は皆、祖母は気が変になったと思ったらしい。あんなに祈ったことはない、何の音も誰の声も聞こえなかった、と祖母。
40日超えの長い長い昏睡の果てに父は目覚めた。ニニロッソの夜空のトランペット🎺がラジオから流れてる時に目が開いたそうだ。そして、その日はビッタシ祖母の満願の日だった。母は祖母の祈りの力に助けられたと信じている。祖母は父が五体満足で助かるようにと祈ったが、父の脳は大部分が損傷し、画像を見ると真っ暗。こんなに損傷していたら、通常は良くて植物状態なのに、どうしてこんなに普通に生活できているのかわからない、『脳🧠』はまだまだわからないことが多いのです、と話してくださった脳外科医(とても良い医師だった)もいた。

悪いのだか凄いのだか、よくわからない。

右目は失明、左目は視野狭窄で竹筒から覗くような状態、と眼科医。祖母は、私の祈りが足りなかった、と苦笑していた。事故の後遺障害でたまにてんかん発作が起きるから、脳外科には長年お世話になっている。私たちは救急車も父の入院も何度も何十回も経験済みだ。だが、何十回経験しても『慣れ』ることはない。父の急変はいつも急転直下で、いきなり暗雲立ちこめ、全く先が見えなくなる。毎回状況が違う。取り巻く私たちの状況も折々に違う。折々に、なんとかかんとか、やるしかない。

てんかん発作は恐ろしい。目の前で人が崩壊していく、独特の恐ろしさがある。肉体と一緒に精神や知能が壊滅する様を目の当たりに突きつけられる。
直行でICU。意識不明で、緊迫した状況になる。心臓マッサージ、電気ショック、瞳孔が開いてきたことも何度かあった。
近年はてんかん発作が起きることは無かったが、別の不具合でやはりICU直行、敗血症ショックで死にかけた。

夏だったかしら。ベランダで父と二人で洗濯物を干していた時、他愛もない会話の中で飛び出した父の一言。

『いつ何があってもおかしくないのが俺たちの年ごろ』

俺たちに明日はない💨🏃🏻💨ですか?ハードボイルド✨おもしろカッコいい❣️

さて、節分前日のこの日、脳神経内科の検査では異常は見つからず。整形外科で頚椎の経年劣化を伴う変形と、背中に少し前の骨折が見つかった。
それ自体は、大したことじゃないらしい。週明け月曜に詳しい検査結果が出るから、その日に来院できるなら帰宅していいと言われて、遅い夕方に帰って来た(ていうか、私が車でお迎えに行ったのだが)。ひどく疲れ果てて、衰弱して、帰ってきたので、車を降りて庭を通り玄関に入るまでのアプローチを自力で歩くことができず、私と母と二人がかりで介助して、なんとかかんとか、玄関に入ることができた。私は腰の手術歴があり腰が弱い。すぐに腰がヤバ〜い感じになってしまった。

ご飯支度もできないし、明日は節分。父が「快気祝いだ❣️」と言い出して(原因不明なだけなのに)😅💦お寿司の出前を頼むことに。。

父は沢山は食べられなかった💦
食卓につくの大変で、椅子から降りるのも大変。ちゃんと立てないし、歩けないのだ。母は小柄で力がないし、私は腰が弱い。高校生の息子が、父を持ち上げて、なんとかかんとか椅子に座らせたり降ろしたりした。
二階の寝室に行くのは到底無理。無理してマッハの力で2階に上がれたとしたら、降りてこられなくなりそう。父は母と一階リビングにお布団並べて敷いて寝た。

夜のトイレ🚽どーする❓💦😨
とてもじゃないけど、連れて行けないわー💦尿瓶(しびん)なんか、ないし💦

いいコト思いついた💡❣️と母。
これでオシッコ取るわ❣️島のりの空きケース🈳‼️


大丈夫?🫥😶🫥と私。
大丈夫よ👌🙆‍♀️と母。

翌日、さらに翌日。。

どんどこ🥁どんどん🥁どこどこどん🥁

日に日に父は悪くなった。劇的に🌊🌋⚡️坂道ころころ転げ落ちるみたいに🥎⚽️⚾️🏀🎾

全く起き上がれない、寝返りもできない。
少ない量の飲食はできるが、自力で身体を起こせない。咽せて咳きこみやすい。
背後にまわって、無理やり身体を起こし、膝をいれて二人羽織みたいな格好で、スプーン🥄で少しづつ食事をさせることにした。

『人間椅子🪑』だ。

身体がぐにゃぐにゃで、うまく姿勢を保持できないので、後ろから支えてホールドする感じ。
①私が人間椅子🪑、二人羽織的に食べさせる
②息子が人間椅子🪑、私が真正面から食べさせる
③息子が人間椅子🪑、私と母が真正面から食べさせる
④私が人間椅子🪑、私が二人羽織的に食べさせ、母も真正面から食べさせる

あーやったりこーやったり。なんとかかんとか。

母は膝のお皿が割れて、ハリガネ入っているから、正座ができない。布団生活は膝が悪いと負荷が高い。

私は腰の手術経験があり、腰が弱い。

布団生活は、父が落下するリスクがないのはメリットだが、母の膝と私の腰にはデメリットだ。

こんな生活、続けられない💦💦💦

この状況、とにかくどうにか打破しなくては‼️

なんとかかんとか、するぞー‼️おーっ‼️


タイトルとURLをコピーしました