私は二十代の後半、腰椎椎間板ヘルニアの手術をした後、アレルギー体質のレベルが跳ね上がり、色々困ったことが起きるようになりました。
以前は普通のアレルギー。以降はハイレベルなアレルギー。これね、『同じアレルギー』ではないのですよ。当事者的には全く別世界になるんです。
さらに、差し当たり困ったのは、手術で一度は治った腰痛がぶり返したこと。ぶり返したといっても、以前の腰痛がそのまま戻ってきたわけではありません。こじれて、タチが悪くなって、パワーアップして再登場したのです。
手術したらスッキリ治ると思っていたのに。良い医師、良い看護体制、手術はシンプル。大変さも不安もありましたが、不思議に楽しかった入院生活でした。経過も順調で、仕事に復帰。イカンかったのはその後でした。
びっくり。
困り果てました🤷♀️🤷♀️🤷♀️ほんとうに💦😫😭😩
使いものにならん、動けない、寝てても痛い。エビ🦐の姿勢で呻くだけ。
若いのに🥲🍂←当時20代
あの頃、いろんな方が、合うか合わないかわからないけど、と前置きした上で、あれが良い、これが良かった、と教えてくださりました。
お金がかかることだし、身体に響くものだから、いい加減なものは勧められない(もちろん❗️😤)合わないものを勧めたら悪いわ😓(合うか合わないかは実際にやってみないとわからない🤔)と躊躇う気持ちがある。その上で、良かったら、と勧めてくださるのでした。
色々やりましたー。按摩、整体、カイロプラクティック、足ツボ、針治療、お灸、などなど。
病院の治療と違い、効くのか効かないのか、いつ効くのか、スケジュールがさっぱりわかりません。薄ぼんやりしてる。なんだか辛気臭いな、やだなぁ😮💨😮💨お金かかるし💴😮💨
といって、病院の治療は、一度きっちりやって玉砕した感がある🤔😤
と言いつつ、病院に相談して、手術以外のやれることに取り組んでみたり。
仕方ないっ❣️彷徨うしかないわ❣️❣️頑張って彷徨うぞ❣️❣️おー❣️❣️と考え、色々やってみたわけです。地道にコツコツじわじわ。お財布と相談しながら。
私に合う💖と思ったものが2つありました。(※この時点では2つ。その後、ゴッドハンドのあん摩のおばあさんに随分助けられました。こちらは既に記事を書きました。よかったら、お読みください👇さらに、その後、セルフケアの自然療法と出会いました。こちらは今後ぼちぼち書きます〜)
さて、この時期助けられたもの。
1つは、とある整体の先生。あの頃の私にはぴたっと合い、救われたー💖と思いました。ありがたい。ただ、お金がかかる(適正価格ですが、通うとトータルでそれなりにかかります)
・結構遠い(県内市外で、渋滞にハマりがちで、片道1時間から1時間半かかりました。それなりに元気じゃないと行けない&施術で良くなっても帰る間に悪くなる、元の木阿弥な感じが否めない。3歩歩いて2歩下がる的な)
・時間がかかる(行き帰りの時間、待ち時間、施術の時間、施術前後のウォームアップ&クールダウンの時間、トータルの所要時間がハンパない)
もうひとつが、Kさんの連れて行ってくれた温泉(湯治)。身体が芯からポカポカ温まり、薄皮を剥ぐように少しづつ快方に向かう感覚がありました。
・うちからはまあまあ遠い(片道40分位、ただし渋滞しない)
・お金はあまり高くない(入浴料のみ)
・時間はかかる(お風呂で温まっては休憩するなを数回繰り返すのが効果的、とKさんに習った)
Kさんは、母の習い事繋がりという、淡い繋がりの方。お家も市外。年齢は秘密🤭と言われていて、母も知らないけど、母より年上なのは確か。そのKさんが、なぜか親身になってくださり、私を温泉(湯治)に導いてくださいました。
つまり、片道小1時間の道のりを、週に1度だったり2度だったり、もう少し間隔開けたり、さりげなく私の様子を見ながら連れて行ってくださり、上手に快方に導いてくださった。好転反応の時期は間隔をあけて、体調と相談しながら間合いをとることも教えてくださりました。一緒にお風呂に入ってくださり、よく温まるんだよ、十分に温まったらお湯を上がって、休憩室でバスローブ姿(のような格好。バスタオルを加工したりして)で休憩して、またお湯に浸かって温まって、、と。休憩の時に水やお茶で水分補給をすること、退屈しのぎに本や雑誌を持ってきてくつろぐこと。。細やかな見守り指導付きで、なんと、1年位も‼️私が完全に『独り立ち』できるまで寄り添ってくださりました。この場合の『独り立ち』は、私が一人で迷子にならずにスイスイ車で行けて(私は方向オンチ)、しっかり効果的に湯治できる状態という意味。
湯治といっても、ひなびた山奥ではなく、海辺の古いホテル。わびしい裏ぶれた雰囲気の🍂🍂🍂だけど、そのお湯は知る人ぞ知る効能があり、惚れ込んで通う人もいたのでした。ちょっと疲れを癒す程度の軽い人ではなく、重いものを抱えた人に合うお湯でした。Kさんは、ご自身がこの温泉に通うことで一時期かなり悪かった体調が良くなって助かったのです。人によって合う合わないがあることだけど、と言いながら、直感的に、私には『合う』と思われたのでしょう。『あそこの温泉がいいよ』と場所を教えるだけじゃなく、本当に効果が出るように、長年の経験で身につけた温泉(湯治)のやり方、コツ、勘所を実地で私に教えてくださったのでした。
年代が随分違う。共通の話題もない。そもそも、雑談が苦手な方だったと思います。日頃はまわりに適当に話を合わせてニコニコしていらしたけど。だから、私の方からKさんの個人的なことは何もお聞きしない、Kさんから私に個人的なことを聞いてこられることも一切ない。噂好きなオバさん的なところが全くない方なのでした。お家の近くではなく、わざわざ知らない人ばかりの地区に習い事(どこにでもあるジャンル、レベル的にも凡庸)に来られていたのも、意図して選択されてる節がある。こうやって気持ち悪いしがらみを回避するんだな、今後の参考にさせていただきましょう、と思いました。
初めての時、ホテルのフロントで入湯料を支払う前に、前もって私を少し離れた場所に待たせて、お一人でフロントの人とお話をされました。10分?いや、15分くらい。話が終わると手招きして私を呼んで、フロントの人と私、両方に言いました。
😶😶え⁉️😳🙄😐😶🫥
即座に飲み込めず、しばし考えてわかりました💡
つまり、規定の入湯料は◯円だけど、湯治に頻回に来られる方に対しては、闇料金というか、、裏の値引き交渉が成立していたのですね。まあ、料金設定がいい加減だったのでしょう。Kさんは、今後私と一緒でなく、この子(=私)が単体で来た時にも安い料金を適用するように😤😠‼️とフロントの人と話をつけて、私にも『そういうことだから❗️うっかり押し負けないようにね😤』と示したわけです。
要するに、私のためにホテルと値引き交渉をしてくださった。この子も顔パスにしなさいよ‼️👹とグイグイやってくれたわけです。
体調に合わせて、何回でも行きなさい、お金はできるだけ値切っといたから、という含み。
そういうの、愛知県ぽい温かさだよね、と沖縄に単身赴任中の夫が言いました。そういう実質的なところ。
私は、この時期、勤め先が事実上倒産して、体調ガタガタになって、実家に身を寄せていました。Kさんは、おそらく大体のことはご存知だったのでしょう。最初にふわっと大筋のところを(本人に直接、噂の真偽を確認する意味かな?)聞いてこられただけで、以降は、何ひとつ聞いてこられなかった。何ひとつ。
そうして、その後1年くらい、私の腰痛治癒のために必要不可欠と思われることだけをお話してくださりながら、湯治に連れて行ってくださり、私の『独り立ち』を見届けると、スッと身を引かれました。つまり、明らかに不透明な理由をつけることで、もうそろそろ一緒には行かないわよ〜という意思を明確に示しながら、突き放すのではなく、やんわりぐんにゃり、穏やかな形で、私を連れて湯治に行くことをやめられたのです。もう一人で行けるでしょ、とも言わずに。びゅーんと飛び立った飛行機が、ソフトランディングするみたいに。
その後、私は一人でマイペースに湯治を続け、Kさんとご一緒する機会は二度とありませんでした。
Kさんには、私も母もいつも感謝して、何年も、お菓子や何か、時々差し上げたりして、感謝の気持ちを伝えていました。こちらが何か差し上げると、律儀にお返ししてくださる方だから、モノが行き来するばかりで、あまり差し上げるとご負担になるかな、と思って控えたりもしながら。
さらにその後、お家を新築されたというので、一度、母と二人で伺いました。見事な欄間のある、とても立派な日本家屋でした。本物の、上質な材木で作られたお家。その頃になって、Kさんが鬼師の奥さまだとわかりました。鬼師というのは、鬼瓦を作る腕の良い職人、マイスターです。
それからさらに何年かして、Kさんは母と同じ習い事を静かに辞められました。場を乱さず、すーっとフェイドアウトの形で。母とKさんの繋がりは年賀状のみに。やがて、それも途絶えました。
結局、振り返ってみると、Kさんが私にしてくださったことは、何から何まで十分に行き届いて、隅々まで過不足がなく、何の見返りも求めず、全く裏のない、純度100%の『ただの親切』だったのでした。
私のために、フロントの人に話して値引き交渉してくださっていた時の、ビシバシッ🥊👊🥊👊とやる感じが、そういえば、鬼瓦みたいだったな。
怖くて、潔くて、真剣で、優しくて、品格がある。鬼瓦。