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清水さんのこと

縁は異なもの、と言います。清水さんと出会ったのは、かめーご を立ち上げて間もない頃。あの日、私は家にいて、ふと思い立って、電話をかけた。その電話がきっかけで、清水さんとお会いしました。後から思うと、チャンスはあの日のあのタイミングしかなかった。ワンチャンス。ありがたいな、と思います。

清水さんは、日本棋院半田支部の幹事長。高段者です。普及指導員の上原さんとご一緒に、かめーご に来てくださるようになり、力になってくださるようになりました。

清水織布の社長で、実業を頑張ってこられた方だということは存じ上げていました。亀崎のお隣、乙川地区の祭礼に貢献されていることも。

さらに、どんな方なのか、もっと知りたいな、と思い、ゆっくりお話を伺ったこともありました。

清水さんは清水織布の社長さん。戦後の物のない時代、この地域は知多木綿の産地として、非常に栄えました。いわゆるガチャマン(織機をガチャと動かすとお金になる、と言われた)です。そんな時代は長くは続かず、衰退していきました。つまり、物資が行き渡り豊かになり、中国製品など安価なものが出現するという時代の変化に、対応するのが難しかったわけです。清水さんは若い頃から、いかに生き延びるか、を考えてあれこれ模索を重ねてこられました。新しい機械を導入して効率化を図る工夫をしたり。他の産地のあり方を視察・勉強したり。同じように勉強やトライを重ねてきた方が、中国に進出することで成功し、活路を拓いたのを見て、刺激を受けたそうです。で、清水さんはインドネシアに進出することで成功し、活路を拓かれたわけですが、きっかけは、東海集中豪雨。清水さんの工場が被害を受け、インドネシア進出を決心。前々から勉強されていた成果が一気に花開く形になりました。ピンチはチャンス。災い転じて福となす、です。

お話を伺ったり、かめーご の活動をご一緒にする中で、じわじわ染みたのは、家族を大事にされる方なんだな、というところ。家族、友達、隣人、地域社会という広がりで、人を大事にされる方だな、と。娘・ラブ!で、娘が来るから!と言われる時のいそいそと目がハートになってる感じが、とても可愛らしいのですが。うちの子さえ良ければ!という風ではなく。人間愛。博愛の精神がじわじわ〜と。

気持ちが溢れる、というか。慈愛の眼差しが印象的。

子どもの頃、学校の先生からクラスの悪童達(失礼!)を全員面倒見るように言われていて、朝のグループ対抗ドリル対決(小テストの取り組みをゲーム化して盛り上げていたのでしょうね)で、いつもドベだったんだ〜、と。

清水さん自身は、数字に強い優等生で、小学校のうちにソロバン三段。計算問題は全部暗算で解いてたそうです。会社勤めをされた時期はブリッジ(コンストラクトブリッジ)の名手で、休日は全国に試合に。勤めを辞めて会社経営をされてからは、趣味をブリッジから囲碁に変えて、高段者に。

華やかな要素の際立つ方だけど。地域の世話役のような役割を色々引き受けて忙しくされていたり、あっちこっち、あれこれ気遣いされていたり。

私も、かめーご の運営のことで度々相談に乗っていただいてきて、たくさん、助けていただいたり、学ばせていただいたり。

「豊か」だな〜と思うんですよね。

私の父方の祖父一族は、第二次大戦後の混乱期に、兄弟力を合わせて、何もないところから起業して、やがて枝分かれして、それぞれに成功しました。最初の最初は、土地も水もなく、長男の大伯父は戦争で半身不随、腕も片腕は使えない、目も片目は義眼、片耳は聞こえない。体の半分は全部ダメになっていました。大伯父が「ここを掘ろう!」と示した地点を掘ったら、良い水が湧いたんだそうです。極限状態に追い込まれて、第六感が開いてくるっていう感じだったのかもしれません。高度経済成長の波に乗って、商い一途に爆走したのですね。茶湯と骨董が好きでした。投機的な意味でも好きだったのでしょうが、本当に骨董が好きだったと思います。

最晩年の祖父は、いつも不機嫌で寂しそうでした。書画骨董に彩られた座敷で、朱泥の火鉢にあたりながら、よく独り言を言っていました。

清水さんは、祖父たちと同じ土壌でサバイバルして成功されてきたけど、祖父たちとは違うところに根っこを生やしている方のように感じられて。いいなあ、と思ったんです。

私は、うちに仏壇があるだけの、フツーの仏教徒。信仰とは縁遠い。清水さんも熱心な信徒ではなさそう・・。だけど、子どもの頃、キリスト教徒(ロシア正教会)だったご両親の勧めで、毎週末、教会に通っていた(清水さん曰く、通わされていた。笑)そうです。

「礼拝とかミサとか?お祈りをしに行ってたわけですか?」とお尋ねしてみました。「お祈りというより、懺悔だね」と。小さな子どもが懺悔するんだ〜、と、小さな驚きでした。で、そういう素地っていいな、と思ったんです。懺悔って、どうやるものかも知りませんけど、内省的で、複眼的な感じがして。

日本人は無宗教が一般的ですが、海外では無宗教って「は?」って感じですよね。ギョッとされることも多いし。大きな声では言えないわ、って感じだったり。

塾とかソロバンとか水泳とか、ダイレクトに実利のありそうな習い事だと思うんですね。教会に行くっていうのは、ダイレクトには何の役にもたたなさそうだけど。

そういうことこそが大事なのかもしれないな、と、清水さんを見ていて、思うようになりました。

慈愛を感じる、清水さんの眼差し
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