亀崎の月 ふるさとを想う気持ち 岐阜 徳山村のカメラばあちゃん 増山たづ子さんに寄せて

こんにちは。かめーご代表吉田です。

かめーごは、つい先日、9月13日、中秋の名月の日に、観月亭ピクニック囲碁会を開催しました。

亀崎の人々の郷土愛の強さ、ふるさとを想う気持ちを、これまで以上に、身にしみて感じました。酷暑の中、連日のように集まってくださり、草とり、整備。後片付けも。

かめーごフェイスブックのアクセス(リーチ)が、日毎、鰻上りでした。

おかげさまで、お天気に恵まれ、たくさんの方々にお運びいただき、良い会になりました。昼間は曇りで涼しく、夜になったら晴れてきて、美しい満月が姿を現したんです。

天体観測ふくろうの会さんによる、望遠鏡で見る名月、月を中心とした天体のお話も好評で、お話はアンコールの声がかかり、もう一回、お話をしていただきました。

主催者側としては、非常にありがたいお天気でした。好都合すぎて怖かったです。笑 これからも地道に誠実に頑張ろうと思います。

その月を眺めていたら、ふと、思い出したんです。岐阜 徳山村のカメラばあちゃん。増山たづ子さんのことを。

増山たづ子さんは、ダムに水没した岐阜県徳山村で民宿を営んでいた方です。戦争で、ビルマのインパール戦に行ったきり、帰ってこないご主人が、万一、横井庄一さんのように帰ってきた時、ふるさとが水底に沈んでいたら驚くだろうと思われて、60才から、『猫が蹴っ転がしても写るカメラ(ピッカリコニカ)』で村を撮り始めました。

ダム建設反対の運動が叶わず、ふるさとが消えると諦めたところから、出発されている方でした。失われていく美しいもの、懐かしいものを残したい。引き裂かれた人々の絆を繋ぎたい、皆の笑顔を取り戻したい。

消えゆくふるさとを残したくて録音し始めた村人たちのおしゃべりが、言語学的に重要とわかり、言語学者達に注目され。写真を撮り始めたら、素晴らしい写真だったので、現像してくれていた写真屋さんが、おばあちゃんの写真展を開いてくれた。そこから火がつき、写真集の出版、エッセイ、映画、テレビ、講演活動、様々な受賞、、と、一躍時の人となりました。

増山さんの写真は美しいのです。カメラを向けられた誰もが、構えのない自然な笑顔で。何気ない風景も、染みるように美しい。

ダム建設賛成派にも、反対派にも、いち早く村を出た人にも、最後まで残った人にも、水資源開発公団の人にも。立ち位置の違いを超え、分け隔てなく、写真を撮り、配って歩かれました。

私が増山さんにファンレターを書き送ったことから、お手紙や電話、ひいてはお宅に呼んでくださり、半日ご一緒したり、ということもありました。

あの頃の私は、悲しいことが立て続けで、暗いトンネルの中にいた時期でした。こんな悪い偶然ってあるのか?とびっくりするほど運も悪かった。

一方、あの頃の増山さんは「イラは今が青春だな」と。潜在的に持っていた才能が見事に開花し、身体もお元気でした。方々で活躍され、脂が乗っていて。若い人にできるだけのことをしたい、伝えたい、と思われていました。

上面だけ見ると、山奥から出てきたフツーのおばあちゃん。ある種のシンデレラガールのようにも見えかねない。でも、著作を読み込み、お会いしてみると、奥行きの深い、非凡な方でした。本当は勉強したかったのに嫁がざるを得ず、畑仕事の合間に、ツルゲーネフ、トルストイ、、、と世界的文学を次々読んだり。集落に一軒のみの民宿を営むことになると、なにせ、ダム建設で水没したほどの秘境ですから、逆に、フツーの人は訪ねてこないんですね。地質学、植物学、言語学、マスコミなど、ディープな人達から、吸収し、本を読み、フィールドワークを続け、地道に学び続けてこられました。

昨今の異常気象、自然災害の多発、政治状況の中で、大事な人を亡くしたり、家に住めなくなったり、ふるさとを失ったり、、苦難の中にいる人は、多いことでしょう。

増山さんは2006年に88歳で心筋梗塞でお亡くなりになりました。生前、増山さんは、講演の最後を、いつもこんな風に締めくくっていらっしゃいました。

みんな仲良く、幸せにな。

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